基本図書を読む23『ゲド戦記Ⅰ影との戦い』ル=グウィン


“ことばは沈黙に
 光は闇に
 生は死の中にこそあるものなれ
 飛翔せるタカの
 虚空にこそ輝ける如くに”
  ――『エアの創造』―― (『ゲド戦記Ⅰ影との戦い』ル=グウィン作 清水真砂子訳 岩波書店 1976 見返しより)

 幼い少年ダニーは生後まもなく母親が亡くなり、父親にも顧みられずゴントという島で幼少期を過ごします。7才になったある日のこと、まじない師である叔母が山羊に向って唱えた呪文を覚え、自分も唱えてみます。たちまち山羊が集まるのを見て、叔母は小さな甥っ子に備わった能力に気づき、魔法使いとして訓練を始めます。
 12才の時、島を強大なカルカド帝国の軍隊が襲ってきますが、ダニーは霧集めの術を使って、軍隊から村を守り抜きます。その噂を聞きつけてル・アルビの大魔法使いオジオンがダニーを訪ねて、弟子としたいと申し出るのです。13才の成人式の後、ダニーは真の名が「ゲド」だとオジオンに伝えられ、この大魔法使いの下で修行をするべ故郷の村を離れるのです。

ゲド戦記 全4冊セット

 アメリカの女性SF作家、アーシュラ・クローバー・ル=グウィン(1929年生まれ)が1968年から2001年にかけて書いた『Earthsea』シリーズは、日本では『ゲド戦記』として岩波書店から清水真砂子の翻訳により出版されました。第1巻の『影との戦い』(原題:『A Wizard of Earthsea』1968年 邦訳1976年)に続いて、『こわれた腕輪』(原題:『The Tombs of Atuan』1971年 邦訳1976年)、『さいはての島へ』(原題:『The Farthest Shore』1972年 邦訳1977年)、『帰還―ゲド戦記最後の書―』(原題:『Tehanu,The Last Book of Earthsea』1990年、邦訳1993年)、『アースシーの風』(原題:『The Other Wind』2001年 邦訳2003年)、『ゲド戦記外伝』(原題:『Tales from Earthsea』2001年 邦訳2004年 現在は『ドラゴンフライ』と題名変更)と全6巻が出版されています。

 『ゲド戦記』のシリーズは、アースシーという多島海諸地域を舞台とし、並外れた魔法の力を持つゲドが繰り広げる波乱万丈の生涯を軸に、世界の光と闇を描く壮大なハイファンタジーです。

 

影との戦い―ゲド戦記〈1〉 (岩波少年文庫)
アーシュラ・K. ル=グウィン
岩波書店
2009-01-16

 第1巻の『影との戦い』では、少年ゲドがその才能を師オジオンに見出され、ローク島の学院で魔法を学ぶのですが、虚栄心から死者の霊とともに自分に襲いかかる影を呼び出してしまい、その影と対峙するという厳しい試練をくぐり抜けるまでが描かれています。

 翻訳を担当した清水真砂子が、この原書を手にした時に、“読みながら、文字どおり体がふるえるような感動を覚えまして、「どうしても訳したい!」と思いました。これが納得のいくように訳せたら、ほんとうにもう、あとはなんにも要らない、と思いました。”(『「ゲド戦記」の世界』清水真砂子 岩波ブックレットNo.683 岩波書店 2006 p7)と感じたというように、13才で故郷の村を出て、さまざまな葛藤の末、自ら呼び出してしまった影と対峙し戦うまでのゲドの成長の過程は、読む者の心にさまざまな感動の波を起こします。

「ゲド戦記」の世界 (岩波ブックレット)
清水 真砂子
岩波書店
2006-09-08

 

 

 オジオンの下で修行を始めたゲドは、早く魔法を伝授されたいと焦ります。事を成し栄誉を我がものにしたいと逸るゲドは、オジオンの留守中に『知恵の書』を紐解き、習いたての神聖文字で呪文を読み解くうちに、暗黒の影を呼び出します。そこへ光を放ちながら飛び込んだオジオンによって、その呪文は解けますが、「そなた、考えてみたことはいっぺんもなかったかの?光に影がつきもののように、力には危険がつきものだということを。魔法は楽しみや賞賛めあての遊びではない。いいか、ようく考えるんだ。わしらが言うこと為すこと、それは必ずや、正か邪か、いずれかの結果を生まずにはおかん。ものを言うたり、したりする前には、それがどういうことになるかを、あらかじめ、知らねばなるまいぞ!」(p41 引用は1979年出版のハードカバー版より)と諫められます。

 オジオンは、ゲドにもっと広い世界を見せるためにローク島にある魔法学院で学ぶように勧めます。ロークの学院ではヒスイと言う名の育ちのよい先輩や、自分とうまが合うカラスノエンドウという先輩に出会います。ゲドはこのヒスイに対して嫉妬心と憎しみを抱くようになります。学院で驚くべき速さでさまざまな術を身につけていったゲドは、やがて自分の力を過信するようになっていきます。そして15才になった夏祭りの夜に、ヒスイの挑発にのって、死者の霊を呼び出す呪文を唱え、黒い影のかたまりを呼び出してしまったのです。黒い影はゲドに瀕死の傷を負わせ、ゲドを救おうとした学院長大賢人ネマールは命を落としてしまいます。

 ゲドもその傷が癒えるのに長い時間を要します。翌年の春になって、ようやくゲドが回復すると新しい学院長のジェンシャーは、ゲドに「そなたはすぐれた力を持って生まれた。だが、そなたはそれをあやまって使ってしまったな。光と闇、生と死、善と悪、そうしたものの均衡にどういう影響を及ぼすのかも考えずに、そなたは自分の力を越える魔法をかけてしまったのだ。しかも、動機となったのは高慢と憎しみの心だった。(中略)そなたとそのものとは、もはや、離れられはせぬ。それは、そなたの投げる、そなた自身の無知と傲慢の影なのだ。」(p106)と告げられます。

  18才でロークの学院での学びを終え、ロー・トーニングの島でベンダーの竜の力を鎮めた後、あの影に追いかけられさまざまな試練をかいくぐったゲドは、もう一度オジオンの下へ戻っていきます。ゲドは師から「一度はふり返り、向きなおって源までさかのぼり、それを自分の中にとりこまなくては、人は自分の行くつくところを知ることはできんのじゃ。」(p196)と、影から逃げるよりも立ち向かうことを教えられます。

 影を追う旅の途中で、絶海の孤島では、数十年前の子どもの時分に島流しにされた王子、王女だった老兄妹に出会い、次の物語(『こわれた腕輪』)に続く欠けた腕輪を受け取ります。またカラスノエンドウと再会し、彼の助けを得て影との対決へと船出をします。その時ゲドは19歳でした。その死の影と対決する場面は、とても印象的です。

 「ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである。すべてをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。」(p270)

 清水真砂子は、この部分について、前出のブックレットの中で以下のように述べています。“ たとえば第1巻で、「全き」と訳したのは、原語でお読みになった方は覚えてらっしゃるでしょうけれども、“whole”という単語です[10世界のはてへ]。それをどう訳すか、ほんとうに四苦八苦しました。第1巻は、ひとりの人間が少年から大人になるまでのことを書いた作品だと考えれば、考えられなくはないですね。「全き」状態になるということ、ひとつの成長の時期を書いたもの、ととることができます。”(『「ゲド戦記」の世界」 p12)

 発達心理学の観点からも、“このような第二次反抗期の心理傾向を前提として、人間がさらに成長するときの起爆剤として、自らの第二人格(影)的対象との強烈な葛藤があり、対決がなされるというのが、欧米で語られてきたところの大人になる一つのパターンであり、「ゲド戦記Ⅰ」は、この課題を余すところなく描いた作品である。”(『ファンタジー文学の世界へ―主観の哲学のために―』工藤左千夫著 成文社 2003 p147)と、捉えられています。

ファンタジー文学の世界へ―主観の哲学のために
工藤 左千夫
成文社
2003-11
 
 
 
 ゲドの内面の成長を描くことで、思春期にそれぞれの子どもたちが出会うであろう自己確立のための内面的葛藤に立ち向かう勇気を与え、その後の人生に指針をしめしてくれる1冊だと思います。私はこれまでこの本を手渡してきた子どもたちが、この本に出会うことで、自己の内面をみつめ不登校から立ち上がる契機になったり、自分の親の死に対面した中で自分を支える杖としたのを見てきました。力のある作品が、成長過程で出合う危機的な状況の中で、その迷える心に寄り添い、導き、そして光を見出す道しるべとなっていくことを、そばで見ていて実感するのは、本を手渡す仕事をするものにとっても大きな喜びでもあります。
 
 そのことについて、脇明子はその著『物語が生きる力を育てる』(岩波書店 2008)の中で、以下のように述べています。
物語が生きる力を育てる
脇 明子
岩波書店
2008-01-29
 
“ゲドが当初いだいていた願望や欲求は、そのままの形で満たされることはなく、それでも最終的にゲドは望んだ以上の地点にたどり着く、ということです。その過程では、願望や欲求そのものが、幾度となく見直されます。世界をよりよく知り、人間を知り、自分を知るにつれて、願望や欲求はおのずと変化することもあれば、苦しんだ末に現実を受け入れてあきらめざるをえないこともあります。しかし、それですべてが失われるわけではなく、現実認識によって鍛え直された願望は、しだいに実現可能なもの、手が届くものになっていきます。それに視野が広がることによって、ついぞ気づいていなかった新たな願いが湧き上がってくることもあります。
 幼い子どものひたすらな願いが、まっすぐに飛ぶ矢のようにかなえられる物語とはちがって、思春期の物語がたどる道のりは意外性に満ちており、結末にたどり着いて振り返ると、最初にこだわっていた問題がこっけいなほどに小さく見えたりもします。それが成長するということであり、そんな物語をしっかり感情移入しながら読むことによって、読者もまたいくらかは成長することができるのだと思います。”(『物語が生きる力を育てる』第7章 願いがかないことと成長すること p158-159)

 この本に出会うことで、困難を乗り越えていった子たちは、まさに物語を感情移入しながら読みながら、自分の内面を見つめ、自ら解決の糸口をみつけ、それを乗り越える力を得ていったのでした。このような力を持った作品を、必要としている子どもたちに、時機を逃さずに手渡していくことが、子どもと本をつなぐ仕事にとって大切であると感じています。

(作成K・J)