基本図書を読む

基本図書を読む31『クラバート』プロイスラー(再掲載)
基本図書を読む30『エイブ・リンカーン』 吉野源三郎(再掲載)
基本図書を読む29『時の旅人』アリソン・アトリー(再掲載)
基本図書を読む28『注文の多い料理店』『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』宮沢賢治(再掲載)
基本図書を読む27『ピーター・パンとウェンディ』J・M・バリー(再掲載)
基本図書を読む26『風と木の歌』 安房直子(再掲載)
基本図書を読む25『ハイジ』ヨハンナ・シュピーリ(再掲載)
基本図書を読む24『ジャングル・ブック』 R・キップリング(再掲載)
基本図書を読む23『ゲド戦記Ⅰ影との戦い』ル=グウィン(再掲載)
基本図書を読む22『トムは真夜中の庭で』フィリッパ・ピアス(再掲載)
基本図書を読む21『たのしいムーミン一家』トーベ・ヤンソン(再掲載)
基本図書を読む20『がんばれヘンリーくん』ベバリイ・クリアリー(再掲載)
基本図書を読む19『若草物語』ルイザ・メイ・オールコット(再掲載)
基本図書を読む18『大きな森の小さな家』ローラ・インガルス・ワイルダー(再掲載)
基本図書を読む17『長くつ下のピッピ』アストリッド・リンドグレーン(再掲載)

基本図書を読む31『クラバート』プロイスラー(再掲載)


こちらは2016年10月28日に掲載した記事の再掲載です。児童文学というにはとても深い内容の作品、秋の夜長に再読するのにぴったりです。

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 今回の基本図書を読むでは、小学校低学年くらいから中学年くらいの子が楽しむ『大どろぼうホッツエンプロッツ』でも有名なドイツの作家オトフリート・プロイスラーが11年かけて書き上げた『クラバート』を紹介します。この作品は、国際アンデルセン賞・作家賞・次席、ドイツ児童文学賞、ヨーロッバ児童文学賞を受賞しています。

『クラバート』オトフリート・プロイスラー/作 中村浩三/訳 偕成社 1980

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

  物語は、14歳で孤児となった主人公クラバートは、自分に呼びかける奇妙な夢に誘われ、湿地のほとりにある水車小屋で11人の粉ひき職人の仲間になるところから始まります。

 「クラバートはしばらくのあいだ、霧につつまれた森のなかを、まるで盲人のように手さぐりで歩いた。するとあき地にゆきついた。ちょうど木立の下からぬけ出ようとしたとき、雲が切れて、月があらわれ、あたりのすべてが急につめたい月光のなかに浮かびあがった。

 そのとき、クラバートは水車場を見た。

 それはすぐ目の前にあった。雪のなかに黒ぐろと、おどすようにうずくまっていて、さながら、獲物を待ちぶせている、巨大な、おそろしいけだもののようであった。」(P17)

 実は水車小屋の親方は魔法使いで、金曜日の夜になると、職人たちをカラスに変え、魔法を教えていたのです、魔法を使えば、苦しい労働も楽にでき、他人をも支配することができると思ったクラバートは懸命に魔法を勉強します。しかし、クラバートが水車小屋に来て1年目の大みそか、クラバートを何かと気遣ってくれた職人頭のトンダの死をきっかけに、親方の変わりに毎年職人の中から一人、犠牲にならなければならないことを知るのです。最初の1年がふつうの3年に相当する水車小屋で、クラバートは少しずつ秘密を知りながら、心も体も成長していきます。そして、村の少女に恋をし、娘の愛を得、親方から自由になるために、生死をかけた対決をするのです。

 この物語は、ドイツのラウジッツ地方に伝わる<クラバート伝説>を素材に描かれたもので、プロイスラーは、少年のときに読んだクラバート伝説から受けた感銘の深さについて、次のように述べています。

「この物語は当時わたしに強烈な印象をあたえました。なかでも、神秘的なひびきをもつクラバートという名前がわたしの記憶に強くきざみこまれました。それにまた、水車場の職人たちの頭上に死の運命がただよい、年ねんかれらのひとりにおそいかかるという話に、わたしはひどくうごかされ、心をうばわれました。ですから、その後二十年にたって、クラバートに再会したような気持ちになったのも、けっしてふしぎではありません」(「解説」より P379)

 ラウジッツ地方は、ドイツ人(ゲルマン民族)のほかにヴェント人という少数のスラブ系の人々も住んでいる地域で、キリスト教もはいってきましたが、在来の異教の信仰の風習を濃くとどめ、魔女や魔法使いの伝説も豊富に残っているそうです。作品の中で描かれる、湿地のほとりにある不気味な水車小屋の様子、粉ひき職人や村人たちの生活などは、土地に根ざした現実感があります。

 作品の構成は、「1年目」「2年目」「3年目」の3章から成っており、年を重ねるごとに親方との対決が近づき、迫力が増していきます。1年目のクラバートはまだ何も知らない少年で、魅惑的な魔法の力に魅かれますが、次第にその力の代償の大きさを知り、自分の全てをかけて打ち勝とうとします。親方にさとされないように力になってくれる仲間、恋した少女との心のつながり、そして何としてでも抗うのだという自分の強い意志をもってして対決に臨んだとき、クラバートを解放してくれたものは何だったのでしょうか。クラバートを支えてくれた友人ユーローは、対決前のクラバートにこう伝えます。

「苦労して習得しなければならない種類の魔法がある。それが『魔法典』に書いてある魔法だ、記号につぐ記号、呪文につぐ呪文で習得してゆく。それからもうひとつ、心の奥底からはぐくまれる魔法がある。愛する人にたいする心配からうまれる魔法だ。なかなか理解しがたいことだってことはおれにもわかる。――でも、おまえはそれを信頼すべきだよ、クラバート。」(P355)

 この物語は、これから世に出て様々な矛盾と向き合いながらも、希望をもって前に進んでいこうとする若い人たちに、生きていくうえで大切なものは何かを教えてくれます。分厚い本ではありますが、文体は簡潔で読みやすく、振り仮名も丁寧に振られていますので、読みやすいと思います。

 尚、プロイスラー氏が1984年に日本講演のなかで語ったものを再話した「クラバート伝説」が、季刊誌<「子どもと昔話」33号 2007年秋 小澤昔ばなし研究所編集・発行>に掲載されています。プロイスラーの作品との大きな違いは、クラバートを解放するのは恋人ではなく母という点ですが、水車小屋で働くこと、実は親方は魔法使いであること、馬や牛に化けて取引することなど、モチーフが生かされていることがわかります。

(作成 T.I)

基本図書を読む30『エイブ・リンカーン』 吉野源三郎(再掲載)


こちらは2016年9月30日に公開した記事の再掲載です。4年前の11月のアメリカ大統領選挙ではドナルド・トランプ氏が選ばれました。それからの4年間は世界的にもナショナリズムが台頭してきました。今年もまたアメリカ大統領選挙が行われます。トランプ大統領が再選されるか、世界中が注目しています。その動きを注視しながら、再読したいと思います。

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 2016年11月8日にアメリカ大統領選挙が行われますが、今回の「基本図書を読む」では、「人民の、人民による、人民のための政治を、断じてこの地上から死滅させない」というゲティスバーグ演説で有名な第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの伝記を紹介します。

エイブ・リンカーン (ジュニア版 吉野源三郎全集) 
吉野 源三郎
ポプラ社
2000-08

 

 

 

 

 

 リンカーンの伝記は多数出版されていますが、この作品は、子どもたちが読み物として読めるよう、事実に基づいて物語風に書かれています。肩書や成し遂げたことだけでなく、リンカーンが何を見て、何を感じたのか、内面まで掘りさげて描かれているので、信念をもち自分の成すべきことにしっかり向き合った一人の人間を感じることができます。

「都会育ちの人びとから見ると、彼は感じのにぶい男に見えましたし、たしかに彼の心は、ものごとに応じて軽快に、しなやかに動いてゆくほうではありませんでした。しかし、彼はものごとをどっしりと深く経験してゆく男でした。心の表面ではなく、魂のしんで経験してゆく男でした。このしんまでひびいてくるほどの経験はめったにありませんが、その代わり、このしんまでしみ通った以上は、一生心から消しとることができない思いとなって残ります。」(P124)

 リンカーンは、貧しい家庭に生まれながら、自分の力で身を立て、州議会の議員からやがてアメリカ大統領となります。当時アメリカでは、奴隷制をめぐる争いが激しさを増していました。リンカーンは、ニューオリンズの奴隷市場で混血の少女が裸にされて売られていく場面に衝撃を受け、その出来事を生涯忘れることがなかったそうで、奴隷制に反対し続けました。ただしすぐに廃止するという姿勢をとっていたわけではなく、アメリカが分裂することがないよう、少しずつ奴隷州より自由州を多くしていくことで、奴隷制をなくそうと考えを持っていたそうです。しかし奴隷制への反対を表明していたリンカーンが大統領となることで、ついにアメリカ南北戦争が起こります。リンカーンは、その南北戦争中に奴隷解放宣言を出しますが、結局戦いは4年も続くことになります。そして、北軍が勝利をおさめた11日後にリンカーンは暗殺されるのです。

 リンカーンが奴隷解放宣言を出すに至るまで、奴隷制をめぐってアメリカがどのように揺れ動いたのか、当時のアメリカの政治や人々の生活も物語の中でわかりやすく描かれています。物語になっていることで、過去の出来事を読んでいるというよりは、リンカーンの生きた時代の空気を感じながらその場にいるように読むことができます。リンカーンの一生をみていると、苦難が多く、華々しく幸福な人生を歩んだとは言い難いかもしれまん。冗談を言って人を笑わせるのが好きで、明るく朗らかな人柄だったそうですが、一人でいるときは深い悲しみの表情を浮かべ沈みこんでいることもあったようです。この本を読み終えると、長年の苦労に耐え、深いしわの刻まれた、それでもしっかり立っている老木のような独りの人間が心に残ります。(リンカーンの身長は193センチもあったそうです。)

 著者の吉野源三郎は、哲学者でもあり、編集者でもありました。戦前、新潮社の「日本少国民文庫」の編集に携わり、『エイブ・リンカーン』の原型となった数章もこの文庫に収められています。このエイブ・リンカーンの伝記から、子どもたちに「人としてどのように生きるか」という問いに真摯に向き合ってほしいという著者の強い思いが伝わってきます。子どもたちは、この本を通して、エイブ・リンカーンその人と、一人の人間を描き出した著者、信念をもった二人の大人に出会うことができるのではないでしょうか。

 また、リンカーンの有名な子ども向けの伝記に、ニューベリー賞など数々の賞を受賞した『リンカン―アメリカを変えた大統領』があります。

 『リンカン―アメリカを変えた大統領』(ラッセル・フリードマン著 金原瑞人訳 偕成社 1993)

 
リンカン―アメリカを変えた大統領 
ラッセル・フリードマン
偕成社
1993-07

 

 

 

 

 

  著者のラッセル・フリードマンはジャーナリストで、この本では数多くの写真や資料をもとに、リンカーンの一生を客観的に描いています。少し通った小学校で学んだときのノート、「私は奴隷になりたくありません」と書いた自筆の文、またたくさんの顔写真から、リンカーンの人柄を感じることができます。南北戦争の戦場の写真(戦場で倒れた兵士たちの写真もあります)や大統領就任演説の写真(当時流行していたシルクハットをかぶっている観衆がたくさんいます)などから当時の様子が伝わってきます。 吉野源三郎の物語風の伝記とは異なった手法ですが、その人の生きた時代がどのようなもので、その中でどのように生きたのか、欠点や失敗を含め一人の人間の生き様がに描かれていることは共通しています。

 リリアン・スミスは『児童文学論』(岩波書店 1964)の「知識の本」の章の中で、次のように記しています。

「歴史や伝記にでてくる人物の生涯は、想像力を豊かにし、希望や競争心を高めてくれるものにみちている。この種類の本を読むことは、子どの人生経験を広める。つまり、人間の生活という大きなドラマにたいする共鳴と理解を、子どもの内によびおこすのである。」(P345)

 小学校高学年になると社会に目を向けるようになり、その中で自分はどう生きていくのか?と考えるようになってきます。そのような子どもたちの力になる、しっかりと時代をとらえ、その人物を描き出した伝記を手渡していきたいものです。

(作成 T.I)

基本図書を読む29『時の旅人』アリソン・アトリー(再掲載)


2016年8月31日に公開した記事の再掲載です。夏の夜にタイムファンタジー、お勧めです。

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 イギリスの児童文学者アリソン・アトリーは「グレイ・ラビット」シリーズ、「チム・ラビット」シリーズや「サム・ピッグ」シリーズなど動物が主人公の動物ファンタジーの妙手です。これらの作品は、自分で物語が読めるようになった子どもたちの気持ちに寄り添うもの作品で、今も幼年文学として読み継がれています。(児童部会「基本図書から学ぶ第2回」報告を参照)

 今回はそんなアトリーの作品の中でも、タイム・ファンタジーと呼ばれ、ヤングアダルト向けとされる『時の旅人』(イギリスでは1939年刊)を取り上げてみたいと思います。 

 
『時の旅人』アリソン・アトリー/作 小野章/訳 評論社 1980
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『時の旅人』アリソン・アトリー/作 松野正子/訳 岩波少年文庫 岩波書店 2000
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「夢か、現か、幻か」・・・読み終えて、浮かんだ言葉でした。

 少女ペネロピーは病気療養のために、兄姉とともにイングランド中部ダービシャー地方にある大叔母ティッシーとその弟バーナバスの住むサッカーズ農場を訪れます。もともと、ほかの家族には見えない亡霊をみる不思議な能力を持っていたペネロピーは、サッカーズ農場を舞台にかつてこの地で生活をしていたバビントン家の人々と350年の時を越えて交流するようになります。

 ペネロピーたちが生活をはじめたサッカーズ農場の屋敷には、350年以上も前に住んでいたバビントン一家の残したものがそこかしこにありました。到着した二日後のこと、ペネロピーは出かける前に2階へひざ掛けを取りに上がり、ドアを開けるとそこに16世紀の衣装を身にまとった貴婦人たちを見ます。そしてティッシーおばさんから、バビントン家の人々と歴史に刻まれているバビントン事件のことを聞かされます。

 その数日後、ペネロピーはまた着替えを取りに2階にかけあがり、ドアを開けた途端に階段をころげ落ちます。気がつくとそこは16世紀のバビントン屋敷の中でした。そこでティッシーおばさんにそっくりのシスリーおばさんに出会います。350年の時間を遡っているにもかかわらず、彼女の姪「ペネロピー・タバナー」として受け入れられ、そこでしばらくの時間を過ごすのです。ところが、門の木戸を抜けると元の時間に戻ってきていたのでした。

 “「すぐもどってきた!」と私はそっと同じことばをくり返しました。何時間も、いえ、何日にも思えるほど、よそに行っていたのに、大きな柱時計の針は私のいないあいだに少しも動いていませんでした。時間と空間を消滅させてしまって、一瞬のうちに何年間も、世界の果てまでも、旅のできる夢のように、私は別の時代に入りこんで、そこで暮らして、柱時計の振り子が半球レンズのうしろで一振りする前に、もとのところへもどってきていました。私はべつの時代のよろこびと不安を味わいました。べつの時代の暮らしの中をしずかに動き、庭を歩き、話をし、あちこちして、そしてまたたくうちに、もどってきたのでした。夢を見たのでもなく、眠っていたのでもなく、私のしたこの旅は、澄みきった空中を通りぬけ、時間を逆もどりした旅でした。たぶん、私はあの時間のかけら― 一瞬間 ―死んで、私の亡霊が年月を飛び越えていったのでしょう。” (岩波少年文庫版『時の旅人』松野正子/訳 p125~126)

 ペネロピーはその後も、時間を飛び越えて過去のバビントン家と関わりを持ち、また元の世界へ戻ってくることを繰り返します。まさにその時代は、イギリスはエリザベス1世統治の世であり、スコットランド女王メアリー・スチュアートとの覇権争いの中、ペネロピーが出会ったバビントン家の跡取りアンソニーは、物語の後半でバビントン事件(エリザベス1世に幽閉されているメアリー女王の脱出を企てるも失敗に終わり、1586年にエリザベス1世暗殺を計画したとして処刑された事件)に関わっていきます。

 その悲劇の結末を知りつつ、過去の時代の人々と関わり、アンソニーの弟フランシスと惹かれあうペネロピー。読み進めるうちに、読者はこの特異な二人の出会いと決して結ばれることがないにもかかわらず確実に心を交わしあう関係に引き込まれていきます。 

 イギリスの児童文学でタイムファンタジーの双璧と呼ばれるフィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』(1958)(基本図書を読む㉒参照)では、時計が13時を打つことが過去の時間への入口として明確に描かれていますが、『時の旅人』では過去への明確な入口はありません。読み進んでいるうちにいつの間にかペネロピーが過去の時間に移動し、また現代に戻ってきており、周囲の登場人物からペネロピーが今どの時代にいるのかを類推することになります。

 

 このことについて、佐久間良子氏は、『現代英米児童文学評伝叢書6 アリソン・アトリー』(KTC中央出版 2007)の中で「このタイム・ファンタジーを成り立たせているのは、いくつもの時間が重なり合って共に存在し、古い家にかつて住んでいた人たちが、そのまま影となってそこに生き続けるという、アトリーの時間についての考えである。そしてアトリーが実際に見た夢を記録し、それについて解説している『夢の材料』では、この時間の概念が、夢と結びつけて語られている。主人公ペネロピ(原文ママ)の時間を越えた旅には、アトリーの語る夢の特質が顕著に表れていて、すべてを夢と考えることができる。しかし、アトリーにとって夢はもうひとつの現実であり、この作品における主人公の時間旅行をすべて夢と解釈しても、主人公の体験の真実性が失われることはない。」とし、アトリーの描き出す世界観の巧さを指摘しています。


『アリソン・アトリー』現代英米児童文学評伝叢書6 佐久間良子/著 谷本生剛/原昌/三宅興子/吉田新一/編 KTC中央出版 2007
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 

 それは、この作品のまえがきにアトリー自身が記しているように、舞台となったサッカーズ農場が、アトリーが子ども時代を過ごしたキャッスル・トップ農場の記憶と重なっていたこと、その農場の近くにバビントン家の治めていた土地や館があり、その土地で語り継がれるバビントン家の物語をアトリー自身が聞いて育ったことと関係があるようです。だからこそ物語にリアリティが感じられ、読者はその世界へと惹きつけられていくのだと思います。

 この物語の魅力をまとめてみると第一に、農場を取り巻く季節や花や草などの自然や、古い屋敷の調度品などの細部が丁寧に描き込まれていることです。第3章の「ハーブガーデン」(岩波少年文庫版、評論社版では「薬草園」と訳されている)などは、花の香りまで漂ってきそうです。

 第二に、中世のイギリス史をベースに物語が描かれていることです。ペネロピーが迷い込んだ過去は、イギリス宗教改革を断行したヘンリー8世のあとのエリザベス1世と、スコットランド女王メアリー・スチュアートとの覇権争いの時代でした。二人はヘンリー8世をめぐる血縁関係にあるが故に複雑な王位継承権がからみイギリス国教会を支持するエリザベス1世と、カトリック信者であるメアリー女王は対立します。メアリー女王は長く幽閉された後、エリザベス女王の手によって処刑されるという悲劇的な結末は、イギリス中世史への興味を引き起こします。16世紀後半といえば、日本では安土桃山時代。メアリー女王側についたバビントン家はさながら豊臣側についた真田家だろうかなどと、想像しながら読み進むことができました。

 第三に、この物語の重要なキーワードとなっている「Greensleeves」という歌の存在です。16世紀頃から歌い継がれているこの歌は、恋しい人を想う歌であり、シェイクスピアが喜劇「ウィンザーの陽気な女房たち」の中で触れたり、現代ではオリビア・ニュートン・ジョンなどがカバーして歌っており、また曲はクリスマスキャロル(賛美歌216番)となっているので、耳にしたことのある人は多いでしょう。この歌が過去と現代を結ぶ鍵になっています。ペネロピーがある日、礼拝用の緑のドレスを着たまま過去へ行くと、フランシスがロンドンで今流行っている歌だと言って、聞かせてくれるのでした。この歌は過去の時代でも現代でも物語の中で何度か歌われますが、一番切なく心を打つのは物語の最終盤、ペネロピーが雪の中に佇みながら、ほんの一瞬姿を見せた過去の世界でフランシスが歌う声を聞くシーンでした。ペネロピーはフランシスの歌声をたしかに聞きながらも、生きて過去へ行きフランシスに会うのはこれが最後だと悟るのです。 

 「グリーンスリーブスよ、いざ、さらば!
 神の恵、君が上にあらんことを。
 われ、今も君を愛す。
 ふたたび来りてわれを愛せ。」(岩波少年文庫版 p437)

 

 第四に、旧約聖書・創世記37~50章に描かれた「ヨセフの夢」を、アンソニーの妻、バビントン家の奥方が刺繍していたというエピソードです。「ヨセフの夢」とは、イスラエル民族の始祖アブラハムのひ孫にあたるヨセフが、少年時代に見た夢です。異母兄弟たちが年少の自分にひれ伏すという夢を麦の穂にたとえて話し、嫉妬にかられた兄たちに奴隷として売り飛ばされエジプトへ行くのですが、そこで能力が買われ宰相にまで上り詰めます。後にイスラエルの地に飢饉が起き、兄たちが売り飛ばした弟ヨセフと知らずに援助を請いに来た時に、ヨセフがその兄たちを許し、受け入れるという物語です。血縁関係にある王家の人々の権力争いに夫が巻き込まれようとしている時にバビントン夫人が「ヨセフの夢」を刺繍し、そしてその刺繍したタペストリーの端切が350年以上時を隔てて、客用の寝室でキルトの一部分になってみつかるという手の込んだアトリーの表現に、深い思いを感じ取りました。

  『時の旅人』については、先に取り上げた『 アリソン・アトリー』(現代英米児童文学評伝叢書6 谷本生剛/原昌/三宅興子/吉田新一/編  佐久間良子/著  KTC中央出版 2007)や、『作品を読んで考えるイギリス児童文学講座4 花ひらくファンタジー』(中野節子、水井雅子、吉井紀子/著 JULA出版局 2012)に詳しく論じられています。 

 

 

『花ひらくファンタジー』作品を読んで考えるイギリス児童文学講座4 中野節子、水井雅子、吉井紀子/著 JULA出版局 2012

 

 

 

 また、アリソン・アトリーの伝記『物語の紡ぎ手 アリソン・アトリー』(デニス・ジャッド/著 中野節子/訳 JULA出版局 2006)には、サッカーズ農場の舞台になったダービシャーの美しい風景や建物を収めた写真や、故郷の地図など豊富な資料があり、『時の旅人』の世界を垣間見ることが出来ます。

 
 
『物語の紡ぎ手 アリソン・アトリー』デニス・ジャッド/著 中野節子/訳 JULA出版局 2006
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 なお、私は若い頃に評論社版(小野章/訳 1980)で読みましたが、今回は岩波少年文庫版(松野正子/訳 1998)と両方を読み比べてみました。個人的には慣れ親しんだ評論社版の本が好きなのですが、今の子どもたちには、現代使われている言葉(例えばハッカ草→レモンバーム、水ハッカ→ミント、オランダガラシ→クレソン)で翻訳され、またイギリスで1978年に出版されたパフィン版の挿絵がふんだんに使われている岩波少年文庫版が手渡しやすいでしょう。今回、久しぶりに読んで、深く掘り下げてみましたが、初めて読む子どもたちには、時を飛び越えるロマンティックな物語として、楽しめるのではないでしょうか。

 

(作成K・J)

基本図書を読む28『注文の多い料理店』『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』宮沢賢治(再掲載)


この記事は、2016年8月4日に公開された記事の再掲載です。4年前に公開されていた「宮沢賢治生誕120年ホームページ」は現在閉鎖されていますので、リンクを削除しています。ご了承ください。

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(2016年8月4日公開記事)

今年2016年が、宮沢賢治生誕120年であることを書き落としていましたので、追記します。宮沢賢治は1896年8月27日に岩手県花巻市で生まれました。花巻では宮沢賢治生誕120年記念事業として、ステントグラスのライトアップや花火、特別展など様々な催しが開かれるようです。   

宮沢賢治生誕120年ホームページ 

各地でも生誕120年を記念してイベントが開かれていますので、ぜひ図書館でも特集展示などを組んでみてはいかがでしょうか。

宮沢賢治は岩手県花巻市で生まれた詩人・童話作家です。その作品は教科書の教材としても多く扱われていますので、ほとんどの人がその名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。賢治は、37歳の若さで亡くなり、生前に出版されたのは、詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』のみですが、死後評価され、その作品が広められました。農学校の教師を務めたり、「羅須地人協会」(らすちじんきょうかい)を設立して地域文化活動を試みたりもした人で、作品とともにその生き方や価値観も多くに人をひきつけています。賢治の作品は様々な形で出版されていますが、今回は岩波少年文庫の3冊『注文の多い料理店』『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』を中心に紹介します。

注文の多い料理店―イーハトーヴ童話集 (岩波少年文庫 (010)) 
宮沢 賢治
岩波書店
2000-06-16

初の童話集『注文の多い料理店』の全作品と詩11編が収められています。山奥で迷った狩人が不思議な料理店に入り込む「注文の多い料理店」、一郎のもとに山ねこからどんぐりの裁判に来てくださいという手紙がくる「どんぐりと山ねこ」、でんしんばしらの軍隊が月夜に行進する「月夜のでんしんばしら」など、小学生でも楽しく読みながら独特の世界を味わえる作品が多くあります。賢治の描いた独特の挿絵も掲載されています。

 

 
銀河鉄道の夜 (岩波少年文庫(012)) 
宮沢 賢治
岩波書店
2000-12-18

 銀河鉄道にのって少年ジョバンニがカンパネラと天空を旅しながら様々なことを感じる「銀河鉄道の夜」、鳥の子を助けたうさぎのホモイが貝の火という美しい玉を手に入れますが、美しいままで持っていることができなかった「貝の火」など、幻想性に富んだ作品を中心に7編が収められています。

 

 
風の又三郎 (岩波少年文庫(011))
宮沢 賢治
岩波書店
2000-11-17

 9月の風の強い日に不思議な転校生がやってくる「風の又三郎」、雪の凍った日にきつねの小学校の幻燈会によばれる「雪渡り」、上手ではないセロ弾きのゴーシュのもとに動物たちがやってくる「セロ弾きのゴーシュ」など、岩手の郷土が豊かに描かれているものを中心に10編が収められています。

 

賢治の作品を読むと、自己犠牲の精神や独特の宗教観なども感じられ、よくわからないな、というところもありますが、不思議にその世界にひきこまれます。空に光る星々、野山で生活する動物たち、農村で暮らしている人々、ざしき童や山男などの普段は見えないもの、そういったものたちの営みがユーモアをもって描かれていて、その息遣いを感じることができます。その作品は、感性豊かな子ども時代に触れてほしいものであると同時に、大人になって読み返すと、また新たな不思議を味わえるような深みのあるものです。 

言葉の響きも独特で味わいがあります。「どっどど どどうど どどうど どどう」(「風の又三郎」)、「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン。(「かしわばやしの夜」)、など思わず声に出して読みたくなります。作品の中に、詩や歌が取り入れられているともあり、言葉で楽しさも味わうことができます。

また多くの画家が賢治の作品の挿絵を描いています。文章だけではイメージしにくいという子も、挿絵があることで親しみやすくなると思います。ぜひ賢治の作品の一つ一つと丁寧に向き合って描いたものを選んで手渡してあげてください。『セロひきゴーシュ』(茂田井武画 福音館書店 1966)、『雪わたり』(堀内誠一画 福音館書店 1969)、『水仙月の四日』(赤羽末吉画 福音館書店 1969)、などは、同じ作家の作品でもここまで風合いが違うのかと驚きますが、それぞれ作品世界の雰囲気を見事に描き出しています。

 
セロひきのゴーシュ (福音館創作童話シリーズ) 
宮沢 賢治 茂田井武/画
福音館書店
1966

 

 

 

 
雪わたり (福音館創作童話シリーズ)
宮沢 賢治 堀内誠一/画
福音館書店
1969
 
 
 
 
 
 

 
水仙月の四日 
宮沢 賢治 赤羽末吉/画
福音館書店
1973
 
 
 

賢治は童話集『注文の多い料理店』の「序」に次のように記しており、賢治がどのようなことを考えて作品を描いたのか伝わってきます。

「 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。

 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおりに書いたまでです。

 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだが、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。

 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。」

(『注文の多い料理店 イーハトーブ童話集』  岩波書店 2000 P9~10)

子どもたちには賢治作品の楽しいところをたっぷり味わってもらうとともに、作品に触れることで、宮沢賢治という100年以上前に生まれた一人の人間に出会ってもらえればと思います。

(作成 I.S)

基本図書を読む27『ピーター・パンとウェンディ』J・M・バリー(再掲載)


2016年6月23日に公開した記事の再掲載です。アニメーションで知っているつもりでも、一度原作を読んでみると新たな発見があるはずです。

ぜひ読んでほしいなと思います。

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ディズニーのアニメやミュージカルで誰もが知っている「ピーターパン」の原作を、読んだことがありますか?今回、紹介するのは石井桃子さんが1957年に岩波文庫のために訳出したものを、子どものために改訳した福音館書店版の『ピーター・パンとウェンディ』(石井桃子/訳 F・D・ベッドフォード/画 1979年)です。2003年に童話シリーズとして福音館文庫になっています。

 

 



 

この作品は、子ども向けに出版される前の1904年12月に「ピーター・パン―おとなにならない少年」という題の劇がでロンドンで上演されて好評を博し、1911年にその劇を本にして出版した「Peter and Wendy」を訳したものです。ジェイムズ・マシュー・バリーはこの作品で作家としての功績が認められ、1913年に準男爵に任じられました。

夢見がちな少女ウェンディは、ある夜、子ども部屋に忘れた自分の影を探しにやってきたピーター・パンと出会います。ピーターの影をウェンディが縫い付けてあげることろから、この物語は大きく動き出し、弟のジョンとマイケルを巻き込んでネヴァーランドへ飛んでいき、個性豊かな海賊フックとその一味や、インディアンたちと心躍る冒険を繰り広げるのです。初めてこの作品を読んだン十年前、妖精の粉の力を借りて夜空を飛んでいけるなんて、なんて素敵だろう、誰もが子どものままで居られるネヴァーランドがほんとうにあったらどれだけ楽しいだろうとわくわくしたことを思い出します。

ところでピーターの姓名であるパンといえば、『たのしい川べ』(ケネス・グレアム・作 石井桃子/訳 岩波書店 1963)(基本図書を読む②)に出てくるパンの神を思い出す人もいるでしょうか。迷子になったカワウソの子が葦の根元でパンの神に見守られている第7章「あかつきのパンの笛」は印象的です。パンとはギリシャ神話に出てくる半身半獣の牧神で、大勢の妖精とも関係があります。作者バリーはそこからピーターの姓をつけたのではと類推したのですが、それに関しては徳島大学の山内暁彦氏の研究「ピーター・パンと牧神「パン」」が大変興味深いので、ぜひご一読ください。(「Hyperion」59、15-32、2013 徳島大学 →こちら

今回、大人になって読み返して気がついたことがありました。迷子たちの家でのウェンディの役割などをみると女性に良妻賢母を求めていることや、フックが有名なパブリックスクールの卒業生でその伝統と正しい作法というものにこだわっている、つまりはそれに価値を置いているということでした。この作品が書かれのが1900年代初頭で、そうした古い価値観が一般的だったわけですが、子ども時代にはまったく気にならなかった部分が引っかかってしまったのは意外でした。それだけ大人の分別を持ってしまったということなのでしょう。だからこそ、この作品に妖精の力を信じることの出来る時代に出会ってほしいと思います。

この作品については、猪熊葉子氏は、『英米児童文学史』の中で「一八世紀末ローマン派の詩人たちは一様に子どものもつ人間的価値に目ざめ、子どもたちを生命や成長の象徴としてとらえた。そしてそのような児童像が徐々に一九世紀の人びとの意識にきざみつけられていったのだが、バリの時代にはそのような前向きの児童像がかなり変化をみせ、幼年時代は浮世の苦渋にたえねばならぬ大人たちの心理的エスケープの対象であると受けとられるようになってきていたのである。永遠の子どものままであれば、大人になる痛みにたえる必要はなく、いつまでも楽しく過ごすことができるからである。バリが成功したのは、そのように現実逃避したい欲求をもつ大人の代弁者となったからであった。」(瀬田貞二/猪熊葉子/神宮輝男/共著『英米児童文学史』 研究社 1971 p160)と、評論しています。

瀬田 貞二/猪熊葉子/渡辺茂男
研究社出版
1971-08-30
 
 
 
 
大人になることを拒み、いつまでも子どものままでいるピーター・パンに対して、17章「ウェンディが大きくなって」では、子どもたちはそれぞれに大人になっていきます。大人になったウェンディとピーターが再会するところでは、ウェンディがすでに結婚して母親になっていて一緒に飛んでいけないことを知ってピーターがショックを受けて泣くシーンがあります。そのかわり娘のジェインが代わりにネヴァーランドへ行くことになるのですが、このことは子ども時代に豊かに持っている空想する力、物語の中にどっぷりと入り込んで楽しむ力は、学校で勉強をし、社会の常識を身につけ、大人になっていく中で失われていくことを暗示しています。このシーンも子ども時代に読んだ時には、さほど気にならず、とにかくネヴァーランドの冒険の楽しさがのほうが心に強く残ったのですが、今回読み返してみると印象的でした。たとえ「現実逃避したい欲求をもつ大人の代弁者」のように評される作品でも、子ども時代に出会って読めば、それは不思議な不思議な冒険へ誘う妖精の粉です。何度も言うようですが、だからこそ子ども時代にぜひ読んでほしいと思います。

 

 なお、岩波少年文庫のほうは、『ジェインのもうふ』(アーサー・ミラー/作 アル・パーカー/絵 偕成社 1971年)や『ロバのロバちゃん』(ロジャー・デュボアザン/作 偕成社 1969年)を翻訳した厨川圭子さんが1954年に翻訳したものが、2000年に新版となって版を重ねています。今回、2冊を比べ読みしましたが、どちらも甲乙つけがたく思いました。

ピーター・パン (岩波少年文庫)
J.M. バリ
岩波書店
2000-11-17



 

 (作成K・J)

基本図書を読む26『風と木の歌』 安房直子(再掲載)


 2016年5月31日に公開していた記事の再掲載です。
新型コロナウィルス感染拡大の影響で、しばらくの間、図書館が休館になっていましたが、徐々に開館へと動き出しました。

YA世代の子どもたちは、そんな中でもしなやかにオンラインで繋がっていたと思いますが、これからまた本にも出合ってほしいと思います。そんな時に1冊はロングセラーからお薦めするのもよいでしょう。「基本図書を読む」連載をぜひ参考にしてください。

 

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安房直子さんは豊かな感性から、数々の美しい物語を生み出した日本の作家です。日常の生活のすぐそばにありそうなふしぎな世界をみせてくれます。今回紹介する『風と木の歌』は、安房さんの初めての短編集で、8つの物語が入っています。

 

 

 何編か紹介すると、きつねがそめてくれた指から懐かしいものがみえる「きつねの窓」、サンショウの木の中に住んでいる不思議な女の子の話「さんしょっ子」、目のみえない女の子に空や海の色をみせてあげる風の子の話「空色のゆりいす」、祭りの晩に100年もの寿命を村人に贈るカメの話「だれも知らない時間」、などがあります。『風と木の歌』というタイトルがぴったり合っていて、すぐそばにあるのに普段の感じ方では気づくことができないものが美しく描き出されています。

次の場面は、「空色のゆりいす」のなかで、風の子が女の子のお父さんに空色をわけてあげるところです。

 「きみ、ぼくはね、絵の具をわけてもらいにきたんだよ。」

 すると、男の子はすずしい目でわらいました。

 「だって、おじさん、空の色がほしいんでしょ。ほんとうの空色は空からもらうんだよ。」

 男の子は、もう一つのポケットから、まっ白いハンカチをとりだして、草の上にひろげました。それから、あのガラスのぼうを、お日さまにかざしました。

 すると、どうでしょう。白いハンカチの上に、小さな小さなにじがかかったではありませんか。

 「空色のゆりいす」(『風と木の歌』 P57)

 ハッとするほど美しい情景ですが、どこか素朴で親しみやすさもあります。まっ白なハンカチが緑の草の上にふわりと広がり、透明なガラスの棒にお日さまがあたって虹が浮かびあがる光景は、別世界に行って驚くというよりは、実際にも起こりそうです。安房さんの描くふしぎは私たちの身近にありそうで、自然にその世界に入っていくことができます。物語を読んだ子が、どうしてハンカチの上ににじがかかるのだろう(「空色のゆりいす」)どうして染めた指からなつかしいものが見えるのだろう(「きつねの窓」)、と、素直にふしぎがっている様子を何度か目にしました。日常の中にこそふしぎで美しいものがあるという大切なことをそっと伝えてくれる、ぜひ出会ってほしい物語です。

 安房直子さんは、日本女子大学国文科に在学中より山室静氏に師事し、「目白児童文学」や同人誌「海賊」を中心に作品を発表しました。「さんしょっ子」で日本児童文学者協会新人賞、『風と木の歌』では小学館文学賞を受賞するなど、多くの賞を受けています。「きつねの窓」は教科書にも掲載され、多くの人に親しまれました。偕成社より「安房直子コレクション」が全7巻で出版されており、主要作品71点とエッセイ40点余りが収録されています。第7巻には、作品目録、年譜も収録されています。

 

「童話と私」というエッセイで、安房さんは次のように書いています。

「私が、童話をこころざした動機を、ひとことで言うとしたら、私自身が、子どもの好きなものが大好きだからということになるでしょうか。つまり子どもが夢みたり、憧れたり信じたりするもの――小人とか、妖精とか、魔女……等々、この世の中には決してあるはずのない、それでいて、ひょっと、どこかにかくれているかもしれない、そういうものたちに、子どものころから憧れて、おとなになっても憧れつづけて、それで結局、そういう物語を書くようになったのです。」(『安房直子コレクション1 なくしてしまった魔法の時間』 安房直子 偕成社 2004』 p312)

  安房さんの作品は、幼いころ愛読したというグリム童話やアンデルセンの作品におそろしく感じるものがあるように、幸せな結末のものばかりではありません。優しくあたたかですが、命あるものの哀しさ、きびしさも根底に流れています。憧れを描きつつ、甘ったれっていない清々しい作品は、子どもから、思春期に入った子、そして大人になっても、ひきつけられるものがあり、愛され続けています。

(作成者 I.S)

基本図書を読む25『ハイジ』ヨハンナ・シュピーリ(再掲載)


2016年4月26日に公開した記事の再掲載です。
新型コロナウィルス感染拡大防止のための外出自粛が続いています。家庭にいる時間も長くなっていますね。
こんな時こそ、読みそびれていた長編に挑むチャンスです。書店へ新刊本をチェックしに行けない今だからこそ、子どもの頃に読んだ本をもう一度引っ張り出して読んでみてはいかがですか?

 
 
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2014年4月から始まった「基本図書を読む」の連載は、二巡し三年目に入りました。これまでに24冊紹介してきましたが、いかがでしたか?
この連載は今年度も続けることにしました。どうぞお楽しみに!
 
25回目に取り上げるのは『ハイジ』(ヨハンナ・シュピーリ/作 矢川澄子/訳  福音館書店 1974 ほか)です。1880年(明治13年)と1881年(明治14年)にスイスの女流作家ヨハンナ・シュピーリが出版した『ハイジの修行時代と遍歴時代』と『ハイジは習ったことを使うことができる』の2冊が原作です。最初は匿名で上巻を出版しましたが、大変な好評を得て下巻は本名で出版しました。『ハイジ』は日本でも1920年(大正9年)に野上弥生子によって最初の翻訳本が家庭読物刊行会から出版され、これまでに抄訳を含め30通りほどの翻訳本が出されています。中には登場人物を日本名にした『楓物語』(山本憲美/訳 福音書館 1925年(大正14年))などもありました。
 

ハイジ (福音館古典童話シリーズ (13))
J・シュピーリ
福音館書店
1974-12-10
 
生まれてまもなく両親を相次いで失い母の妹デーテに育てられていた5歳になるハイジが、そのデーテに連れられてアルムの山を登っていくところから物語は始まります。デーテは新しい奉公先が決まったため、幼いハイジをアルムの山小屋で一人暮らす父方の祖父に預けに行ったのでした。ハイジはその天真爛漫で素直な心でアルプスの大自然に囲まれた祖父との生活にすぐに慣れ、その生活を楽しむようになります。
ところが3年後、叔母のデーテが再び現れ、フランクフルトのゼーゼマン家の身体の弱い令嬢クララの遊び相手として連れて行かれるのです。クララとはすぐに打ち解けるものの、ハイジは山の生活を恋しがり、心の病になってしまいます。その状況を知ったゼーゼマン氏はハイジをすぐにアルプスに戻すことを決意します。
フランクフルトでクララのおばあさんに、字を読むことと、神に祈ることを教えてもらったハイジは、村の人と断絶していたおじいさんを改心させ、またヤギ飼いのペーターの盲目のおばあさんに祈りの詩を読んであげて励まします。やがてクララがハイジ恋しさにアルプスの山小屋を訪れます。ところが二人の仲の良さに嫉妬したペーターがクララの車椅子を斜面から落として壊してしまうのです。しかし、それがきっかけでクララは自分の足で歩こうと決意し、ハイジとペーターの肩を借りて歩けるようになるシーンは何度読んでも感動的です。 物語は、クララの足の回復を知ったゼーゼマン氏がクララをスイス国内の旅行に誘い、ハイジとの再会を約束して別れる一方で、ゼーゼマン家の医者がハイジの後見人となることをアルムのおじいさんに約束するところで終わります。心優しく健気なハイジの成長の物語は、世界中の多くの人に愛されてきました。
ヨハンナ・シュピーリ(Spyriという姓は、スピリ、シュピリなどに訳されていますが、ここでは福音館書店の本に合わせてシュピーリと表記します)は、1827年スイスのチューリヒ湖南岸近い山村ヒルツェルで、医者である父ヨハン・ホイサーと牧師の娘である母メタ・ホイサーのもとに生まれました。25歳で弁護士ヨハン・ベルンハルト・シュピーリと結婚しました。シュピーリが初めて子どものための本を書いたのは44歳の時で、三作目にあたる『ハイジの修行時代と遍歴時代』は53歳の時の作品でした。
 
敬虔なキリスト教徒である両親に育てられたシュピーリの作品には、宗教的な側面が色濃く残っています。『アルプスの少女ハイジとともに―シュピーリの生涯』(高橋健二/著 彌生書房 1984年)に、「人間としてあくまで真理と真実を求めて力を尽くすが、究極は神にまかせるという謙虚さがシュピーリの作品を貫いている。」(上述の本 p80)と書いてあるとおり、それはクララのおばあさんがハイジに祈りを教える場面や、アルムのおじいさんの改心、嫉妬にかられたペーターの呵責の念を責めずに諭すクララのおばあさんの姿勢などに如実に表れています。
 
この物語が描かれた時代のスイスには、「自然に帰れ」と唱えた教育者のジャン・ジャック・ルソー(1712~1778)や、子どもたちの自立性を重んじ子どもたちが人間本来の成長を遂げられるよう大人は見守るべきだと解いた教育者ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ(1748~1827)の教育思想が広まっており、この作品にもそれが反映されています。
『アルプスの少女ハイジとともに―シュピーリの生涯』を書いた高橋健二は、「「自然に帰れ」というルソーの叫びにこだまするように、シュピーリは山の自然な生活の健康な美しさを飽かずに書いた。都会はしばしば、人の心身をゆがめ、むしばむのに反し、母なる自然は本来の人間を育てる。自分は全く大地の子で、栄養を大地から引き出す、と彼女は言っている。自然への帰依は神への帰依である。彼女の自然感情は神への思いに通じている。「ハイジ」は自然児の最も美しい賛歌である。」(p113)と、そのことをについて書いています。
 
日本では1974年にテレビアニメ化され多くのファンを得ました。その際、極力宗教色は排除され、またクララが歩き出すエピソードは、ペーターの嫉妬による車椅子の破壊ではなく別の物語に仕立てられています。アニメで見て「ハイジ」を知っているという方にも、ぜひ原作を読んで欲しいと思います。
 
なお、私は今回、福音館書店版と岩波少年文庫版で読みました。福音館書店の古典童話シリーズ(矢川澄子/訳 1974)は、1880年の初版本のために描かれたパウル・ハイの挿絵が使われています。福音館文庫として上下巻になったものもあります。一方、2003年に出版された岩波少年文庫は、上田真而子が現代の子どもたちに馴染むよう訳し直しており、字体も大きく、とても読みやすくなっています。こちらは本来は『ハイジの修行時代と遍歴時代』つまり上巻に含まれる「日曜日、教会の鐘が鳴ると」を、下巻の最初に持ってきています。これはひとつの物語として連続している「ハイジ」を1冊の本とみなし上下巻を、文章量で調節したからだとのこと。絵もシュピーリ没後100年記念にチューリヒで出版された本のために描かれたものを使っているとのことです。
 
『ハイジ』上・下 ヨハンナ・シュピリ/著 上田真而子/訳 岩波少年文庫 岩波書店 2003
ハイジ (上) (岩波少年文庫 (106))
ヨハンナ・シュピリ
岩波書店
2003-04-18

 

 

ハイジ (下) (岩波少年文庫 (107))
ヨハンナ・シュピリ
岩波書店
2003-04-18
 
 



 さて、「ハイジ」についての研究書や評論は少なく、その一方で「ハイジ」ゆかりの地を巡る紀行写真集は何冊か出版されています。それらの中から、再読のお供になるおすすめの何冊かを取り上げてみます。

『アルプスの少女ハイジとともに―シュピーリの生涯』高橋健二/著 彌生書房 1984

1972年にドイツ文学者高橋健二が最初に著した『シュピーリの生涯』を判型と字体を一回り大きくして再版されたものです。1969年にチューリヒにヨハンナ・シュピーリ財団を設立した篤志家フランツ・カスパー氏からの貴重な資料の提供を受けて書かれた本格的なシュピーリの伝記です。

 

『アルプスの少女ハイジ―スイスメルヘン紀行』高橋健二/監修 矢川澄子/文・訳 西森聡/写真 求龍堂 1992

高橋 健二
求龍堂
1992-12
 
シュピーリの伝記を著した高橋健二が監修し、福音館書店版の翻訳を手がけた矢川澄子の文章と、写真家西森聡の美しいアルプスの大自然の写真で、「ハイジ」の世界観を余すことなく伝えてくれるガイドブックです。巻末には高橋健二による簡単なシュピーリの略歴が書かれており、年譜と作品リストもあります。
 
 
『アルプスの少女ハイジの文化史』福田二郎/著 国文社 2010

アルプスの少女ハイジの文化史
福田 二郎
国文社
2010-09
 
 子ども時代にアニメで「ハイジ」に親しみ、大人になって原作を読みますます「ハイジ」のファンになったという欧米文学者である著者が、この作品の文化的な背景を宗教、歴史、社会問題にまで広げて紐解いてくれた解説書です。とても読みやすい文体で書かれていて、「ハイジ」についてより深く理解ができることでしょう。
 
 『ハイジ神話―世界を制服した「アルプスの少女」』ジャン=ミシェル・ヴィスメール/作 川島隆/訳 晃洋書房 2015
 
ハイジ神話―世界を征服した「アルプスの少女」
ジャン=ミシェル ヴィスメール
晃洋書房
2015-03-24
 
 2014年春のジュネーヴ国際ブックフェアでスイスの文学者である著者と翻訳者の川島隆が「ハイジ」を題材にシンポジウムを開催したご縁で、この研究書が翻訳されました。豊富な資料を下敷きに書かれたスイス人文学者の目から見たシュピーリの研究、「ハイジ神話」論、そして「日本のハイジ」と題して「日本人にとってのハイジ像」の分析もあり興味を引きます。
 
 (作成K・J)

基本図書を読む24『ジャングル・ブック』 R・キップリング(再掲載)


2016年3月31日に公開された記事の再掲載です。

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森の中で動物たちと共に暮らせたら、どんなに楽しいだろう? どんなわくわくしたことが待ち受けているのだろう?と、考えたことがある人は多いのではないでしょうか。

『ジャングル・ブック』(R・キプリング作 木島始訳 福音館書店 1979)は、.インドのジャングルでオオカミの子として育てられた少年モーグリの物語です。イギリスの作家ラディヤード・キップリングが書いた2冊の本『ザ・ジャングル・ブック』(1894)と『ザ・セカンド・ジャンブル・ブック』(1895)におさめられている15編からモーグリが主人公になっている8編が訳されています。

ジャングル・ブック (福音館古典童話シリーズ (23))
ジョセフ・ラドヤード・キップリング
福音館書店
1979-07-10

 

 

  トラが人間を襲ったことから、オオカミの巣穴にやってきた人間の赤ん坊モーグリは、動物たちの会議でジャングルの一員として認められ、クマのバルー、ヒョウのパギーラ、白蛇のカーなどジャングルの仲間からジャングルの掟を教わりながら、成長していきます。掟は、くさった枝と丈夫な枝をどう見分けるか、また自分の土地以外で狩りをするときはどうするか、など自然の見方からお互いの領域の守り方まで様々なものがあります。ジャングルには豊かな恵みががあると同時に厳しい掟があり、それを守らないものは生きていけないのです。

 やがてモーグリは、宿敵であるトラのシアカーンをやっつけ、ジャングルに侵入してきたドールと呼ばれる殺しやの赤犬たちを一掃するほど、力、知恵、勇気をもつようになります。それでも、モーグリはジャングルのものにもなりきれず、人間にもなりきれず、動物と人間の間で苦しむことになるのです。オオカミの頭アケーラは、モーグリにこう言います。

「ずっと目をかけてやってた、おおかみっ子だが、おまえは、やっぱり人間だよ、ぼうや。

おまえは、人間なんだ、さもなけりゃ、おおかみなかまたちは、ドールを前にして、逃げてしまっていたところだ。

おれが助かったのは、おまえのおかげだ。いつか、おまえを、おれが助けてやったように、今日は、おまえが、おおかみなかまを助けてくれた。

おまえは、もう忘れてしまったのか? あらゆる借りは、すっかり支払われたぞ。

おまえのなかま、人間たちのところへ、もどっていくがいい。おれの目といっていいおまえ、もう一度いうが、狩りは、終わったのだ。

人間のなかまへ、かえっていくがいい。」(P410)

  野生で育ち、やがて人間の世界にもどっていくモーグリの一連の物語は、一人の英雄を思わせる神話のような力強さ、神秘さがあります。自然や生き物の姿が鮮やかに描かれており、光、風、匂い、音を生き生きと感じ、ジャングルの鼓動が伝わってきます。読み手は、モーグリと共に大地を走り、木にぶらさがり、巣穴で休み、時には飢えに苦しみ、ジャングルでの暮らしを体で感じることができるのです。同時に、ジャングルのものになりきれないモーグリのかなしみ、さみしさも伝わってきます。自分とは何なのか苦しみながらも、愛し育ててくれたものに支えられ、最後は一人で自分の道を選んでいくモーグリの姿は、自分の居場所を探ろうとしている若い人たちの共感も得ることと思います。

人間のもとに戻ろうとするモーグリに、クマのバルー、ヒョウのパキーラ、白蛇のカーの3匹がおくった詩は、次のようにしめくくられています。

「森と水と 風と木と

知恵と 力強さと 礼儀正しさと

ジャングルのありがたさ おまえとともに!」

(「三匹のうた」より P475)

   作者キップリングは今から150年前、インドのボンベイで生まれ、5歳までインドで育ちました。『ジャングル・ブック』の舞台はインドのジャングルで、インドをよく知っていたキップリングだからこそ、野生の自然の厳しさ、美しさを鮮明に書くことができたのでしょう。他にも、『少年キム』(三辺律子訳 岩波書店 2015)、『ゾウの鼻が長いわけ-キプリングのなぜなぜ話』(藤松玲子訳 岩波書店 2014)などがあります。『少年キム』は「本のこまど」の新刊情報「2015年11月、12月の新刊から」でも紹介されています。

少年キム(上) (岩波少年文庫)
ラドヤード・キプリング
岩波書店
2015-11-18

 

 

 

 

 モーグリの物語は多く訳されており、他にも『ジャンブル・ブック』(三辺律子訳 岩波書店 2015)、『ジャングル・ブック―オオカミ少年モウグリの物語〈第1部〉〈第2部〉』(金原瑞人訳 岩波書店 1990)などもあります。今回は、表現がわかりやすく、詩のような響きのある文体の木島始訳を選びました。

 

 平成27度の『基本図書を読む』でも、12回にわたって基本図書を紹介してきました。平成26年度に紹介したものと合わせると24冊になります。第1回の記事にも書きましたが、基本図書とは、長い間子どもに愛され、読み継がれてきた本を言います。時の試練を経ても色あせることがない、読書の喜びを与えてくれる本で、図書館の蔵書の核となっている本です。基本図書を読むことで、子どもたちが本質的にどんなものを求めているのか、質の高い作品とはどのようなものなのか、図書館員としてどのようなものを手渡していくべきかが、自ずとみえてきます。読むのに時間がかかる作品も多いのですが、読むに値する作品ばかりので、ぜひ1冊ずつでも実際に読んでみてください。『基本図書から学ぶ』は来年度も続けていく予定です。どうぞお楽しみに!

(作成T.S)

基本図書を読む23『ゲド戦記Ⅰ影との戦い』ル=グウィン(再掲載)


この記事は、2016年2月26日に公開したものの再掲載です。
何度も読み返したくなる作品、自分がいろいろな人生体験を積んで読み直したくなる作品に、若い時に出合うことの意味を噛みしめたいと思います。

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“ことばは沈黙に
 光は闇に
 生は死の中にこそあるものなれ
 飛翔せるタカの
 虚空にこそ輝ける如くに”
  ――『エアの創造』―― (『ゲド戦記Ⅰ影との戦い』ル=グウィン作 清水真砂子訳 岩波書店 1976 見返しより)

 

 幼い少年ダニーは生後まもなく母親が亡くなり、父親にも顧みられずゴントという島で幼少期を過ごします。7才になったある日のこと、まじない師である叔母が山羊に向って唱えた呪文を覚え、自分も唱えてみます。たちまち山羊が集まるのを見て、叔母は小さな甥っ子に備わった能力に気づき、魔法使いとして訓練を始めます。
 12才の時、島を強大なカルカド帝国の軍隊が襲ってきますが、ダニーは霧集めの術を使って、軍隊から村を守り抜きます。その噂を聞きつけてル・アルビの大魔法使いオジオンがダニーを訪ねて、弟子としたいと申し出るのです。13才の成人式の後、ダニーは真の名が「ゲド」だとオジオンに伝えられ、この大魔法使いの下で修行をするべ故郷の村を離れるのです。

 

ゲド戦記 全4冊セット

 アメリカの女性SF作家、アーシュラ・クローバー・ル=グウィン(1929年生まれ)が1968年から2001年にかけて書いた『Earthsea』シリーズは、日本では『ゲド戦記』として岩波書店から清水真砂子の翻訳により出版されました。第1巻の『影との戦い』(原題:『A Wizard of Earthsea』1968年 邦訳1976年)に続いて、『こわれた腕輪』(原題:『The Tombs of Atuan』1971年 邦訳1976年)、『さいはての島へ』(原題:『The Farthest Shore』1972年 邦訳1977年)、『帰還―ゲド戦記最後の書―』(原題:『Tehanu,The Last Book of Earthsea』1990年、邦訳1993年)、『アースシーの風』(原題:『The Other Wind』2001年 邦訳2003年)、『ゲド戦記外伝』(原題:『Tales from Earthsea』2001年 邦訳2004年 現在は『ドラゴンフライ』と題名変更)と全6巻が出版されています。

 『ゲド戦記』のシリーズは、アースシーという多島海諸地域を舞台とし、並外れた魔法の力を持つゲドが繰り広げる波乱万丈の生涯を軸に、世界の光と闇を描く壮大なハイファンタジーです。

 

影との戦い―ゲド戦記〈1〉 (岩波少年文庫)
アーシュラ・K. ル=グウィン
岩波書店
2009-01-16

 

 

 第1巻の『影との戦い』では、少年ゲドがその才能を師オジオンに見出され、ローク島の学院で魔法を学ぶのですが、虚栄心から死者の霊とともに自分に襲いかかる影を呼び出してしまい、その影と対峙するという厳しい試練をくぐり抜けるまでが描かれています。

 

 翻訳を担当した清水真砂子が、この原書を手にした時に、“読みながら、文字どおり体がふるえるような感動を覚えまして、「どうしても訳したい!」と思いました。これが納得のいくように訳せたら、ほんとうにもう、あとはなんにも要らない、と思いました。”(『「ゲド戦記」の世界』清水真砂子 岩波ブックレットNo.683 岩波書店 2006 p7)と感じたというように、13才で故郷の村を出て、さまざまな葛藤の末、自ら呼び出してしまった影と対峙し戦うまでのゲドの成長の過程は、読む者の心にさまざまな感動の波を起こします。

「ゲド戦記」の世界 (岩波ブックレット)
清水 真砂子
岩波書店
2006-09-08

 

 

 オジオンの下で修行を始めたゲドは、早く魔法を伝授されたいと焦ります。事を成し栄誉を我がものにしたいと逸るゲドは、オジオンの留守中に『知恵の書』を紐解き、習いたての神聖文字で呪文を読み解くうちに、暗黒の影を呼び出します。そこへ光を放ちながら飛び込んだオジオンによって、その呪文は解けますが、「そなた、考えてみたことはいっぺんもなかったかの?光に影がつきもののように、力には危険がつきものだということを。魔法は楽しみや賞賛めあての遊びではない。いいか、ようく考えるんだ。わしらが言うこと為すこと、それは必ずや、正か邪か、いずれかの結果を生まずにはおかん。ものを言うたり、したりする前には、それがどういうことになるかを、あらかじめ、知らねばなるまいぞ!」(p41 引用は1979年出版のハードカバー版より)と諫められます。

 オジオンは、ゲドにもっと広い世界を見せるためにローク島にある魔法学院で学ぶように勧めます。ロークの学院ではヒスイと言う名の育ちのよい先輩や、自分とうまが合うカラスノエンドウという先輩に出会います。ゲドはこのヒスイに対して嫉妬心と憎しみを抱くようになります。学院で驚くべき速さでさまざまな術を身につけていったゲドは、やがて自分の力を過信するようになっていきます。そして15才になった夏祭りの夜に、ヒスイの挑発にのって、死者の霊を呼び出す呪文を唱え、黒い影のかたまりを呼び出してしまったのです。黒い影はゲドに瀕死の傷を負わせ、ゲドを救おうとした学院長大賢人ネマールは命を落としてしまいます。

 

 ゲドもその傷が癒えるのに長い時間を要します。翌年の春になって、ようやくゲドが回復すると新しい学院長のジェンシャーは、ゲドに「そなたはすぐれた力を持って生まれた。だが、そなたはそれをあやまって使ってしまったな。光と闇、生と死、善と悪、そうしたものの均衡にどういう影響を及ぼすのかも考えずに、そなたは自分の力を越える魔法をかけてしまったのだ。しかも、動機となったのは高慢と憎しみの心だった。(中略)そなたとそのものとは、もはや、離れられはせぬ。それは、そなたの投げる、そなた自身の無知と傲慢の影なのだ。」(p106)と告げられます。

 

  18才でロークの学院での学びを終え、ロー・トーニングの島でベンダーの竜の力を鎮めた後、あの影に追いかけられさまざまな試練をかいくぐったゲドは、もう一度オジオンの下へ戻っていきます。ゲドは師から「一度はふり返り、向きなおって源までさかのぼり、それを自分の中にとりこまなくては、人は自分の行くつくところを知ることはできんのじゃ。」(p196)と、影から逃げるよりも立ち向かうことを教えられます。

 

 影を追う旅の途中で、絶海の孤島では、数十年前の子どもの時分に島流しにされた王子、王女だった老兄妹に出会い、次の物語(『こわれた腕輪』)に続く欠けた腕輪を受け取ります。またカラスノエンドウと再会し、彼の助けを得て影との対決へと船出をします。その時ゲドは19歳でした。その死の影と対決する場面は、とても印象的です。

 

 「ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである。すべてをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。」(p270)

 

 清水真砂子は、この部分について、前出のブックレットの中で以下のように述べています。“ たとえば第1巻で、「全き」と訳したのは、原語でお読みになった方は覚えてらっしゃるでしょうけれども、“whole”という単語です[10世界のはてへ]。それをどう訳すか、ほんとうに四苦八苦しました。第1巻は、ひとりの人間が少年から大人になるまでのことを書いた作品だと考えれば、考えられなくはないですね。「全き」状態になるということ、ひとつの成長の時期を書いたもの、ととることができます。”(『「ゲド戦記」の世界」 p12)

 

 発達心理学の観点からも、“このような第二次反抗期の心理傾向を前提として、人間がさらに成長するときの起爆剤として、自らの第二人格(影)的対象との強烈な葛藤があり、対決がなされるというのが、欧米で語られてきたところの大人になる一つのパターンであり、「ゲド戦記Ⅰ」は、この課題を余すところなく描いた作品である。”(『ファンタジー文学の世界へ―主観の哲学のために―』工藤左千夫著 成文社 2003 p147)と、捉えられています。

ファンタジー文学の世界へ―主観の哲学のために
工藤 左千夫
成文社
2003-11
 
 
 
 ゲドの内面の成長を描くことで、思春期にそれぞれの子どもたちが出会うであろう自己確立のための内面的葛藤に立ち向かう勇気を与え、その後の人生に指針をしめしてくれる1冊だと思います。私はこれまでこの本を手渡してきた子どもたちが、この本に出会うことで、自己の内面をみつめ不登校から立ち上がる契機になったり、自分の親の死に対面した中で自分を支える杖としたのを見てきました。力のある作品が、成長過程で出合う危機的な状況の中で、その迷える心に寄り添い、導き、そして光を見出す道しるべとなっていくことを、そばで見ていて実感するのは、本を手渡す仕事をするものにとっても大きな喜びでもあります。
 
 そのことについて、脇明子はその著『物語が生きる力を育てる』(岩波書店 2008)の中で、以下のように述べています。

物語が生きる力を育てる
脇 明子
岩波書店
2008-01-29
 
 
 
“ゲドが当初いだいていた願望や欲求は、そのままの形で満たされることはなく、それでも最終的にゲドは望んだ以上の地点にたどり着く、ということです。その過程では、願望や欲求そのものが、幾度となく見直されます。世界をよりよく知り、人間を知り、自分を知るにつれて、願望や欲求はおのずと変化することもあれば、苦しんだ末に現実を受け入れてあきらめざるをえないこともあります。しかし、それですべてが失われるわけではなく、現実認識によって鍛え直された願望は、しだいに実現可能なもの、手が届くものになっていきます。それに視野が広がることによって、ついぞ気づいていなかった新たな願いが湧き上がってくることもあります。
 幼い子どものひたすらな願いが、まっすぐに飛ぶ矢のようにかなえられる物語とはちがって、思春期の物語がたどる道のりは意外性に満ちており、結末にたどり着いて振り返ると、最初にこだわっていた問題がこっけいなほどに小さく見えたりもします。それが成長するということであり、そんな物語をしっかり感情移入しながら読むことによって、読者もまたいくらかは成長することができるのだと思います。”(『物語が生きる力を育てる』第7章 願いがかないことと成長すること p158-159)
 

 この本に出会うことで、困難を乗り越えていった子たちは、まさに物語を感情移入しながら読みながら、自分の内面を見つめ、自ら解決の糸口をみつけ、それを乗り越える力を得ていったのでした。このような力を持った作品を、必要としている子どもたちに、時機を逃さずに手渡していくことが、子どもと本をつなぐ仕事にとって大切であると感じています。

(作成K・J) 

基本図書を読む22『トムは真夜中の庭で』フィリッパ・ピアス(再掲載)


2016年1月に公開したものの再掲載です。(T・S作)
AI時代を生きる子どもたちに、AIでも及ばない力=想像力を身につけることはとても大切なことです。それにはやはり「読書」も大切だと考えます。今はなかなか基本図書を子どもたちが手にしないと聞きますが、諦めずに手渡していく方法を考えたいと思います。(K・J)
 
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「庭園がいちばんすきな季節は夏で、それも晴れわたった天候のときだった。初夏には、芝生のところにある三日月型の花壇にまだヒヤシンスが咲き残っていた。まるい花壇では、ニオイアラセイトウが咲いていた。やがてヒヤシンスがおじぎをして枯れ、ニオイアラセイトウもひきぬかれてしまうと、こんどはアラセイトウやエゾギクが、それにかわって花をひらいた。温室の近くに、刈りこんであるツゲの茂みがあったが、その横腹はまるで大きな口のようにへこんでいた。そのへこんだところには、咲きほこっているゼラニウムの鉢をぎっしりとつめてあった。日時計の小径のあたりには、まっかなケシの花やバラが咲いていた。夏の日がくれると、サクラ草が小さな星々のようにかがやいた。晩夏には、煉瓦塀のところにある西洋ナシが、人にとられないようにモスリンの袋でつつんであった。」 ( 『トムは真夜中の庭で』 フィリッパ・ピアス著 高杉一郎訳岩波書店 1989 P66)

 見事な描写で、木々や草花であふれている様子に加え、庭にあたる光、わきおこる風、鼻をかすめる匂いなど、庭の空気を味わうことができるこの作品は、イギリス児童文学のファンタジーの中でも傑作と言われています。

トムは真夜中の庭で
フィリパ・ピアス
岩波書店
1967-12-05

 

 

 主人公のトムは、弟がはしかにかかったため、夏休みの間、おじさん、おばさんの家に預けられることになり、遊び相手もなく昔の邸宅を改造したアパートで退屈していました。眠ることができなかったある夜、トムは玄関ホールにある大時計が13時を打つのを聞き、裏口から外へさまよい出てみると、ヴィクトリア朝時代の見事な庭園が広がっていたのです。そこで、トムはハティという少女と友達になり、毎晩ベッドを抜け出して、不思議な庭で遊ぶようになります。けれども、トムの日常生活の「時間」と庭での「時間」の流れが異なるようで、雷で倒れたはずのモミの木が、次に来たときは元に戻っていたりします。そして初めはトムのよい遊び相手だったハティは、どんどん成長してして大人の女性になってしまい、トムは庭に行けなくなってしまいます。トムが自分の家に帰らなければならない日、トムはアパートの3階に住んでいるバーソロミュー夫人に会い、おばあさんがハティであることを発見します。トムは年老いたおばあさんのなかに少女のハティを認め、二人はしっかり抱き合うのです。

 ピアスは「作者のことば」の中で、この物語のテーマを次のように述べています。

 「想像力をもってしても、理性をもってしても、いちばん信じにくいことは、「時間」が人間の上にもたらす変化である。子どもたちは、かれがやがて大人になるとか、大人もかつては子どもだったなどときくと、声をあげて笑う。この理解の困難なことを、私はトム・ロングとハティ・メルバンの物語のなかで探究し解決しようと試みた。物語のおわりのところで、トムはおばあさんのバーソロミュー夫人を抱きしめるが、あれはおばあさんが、トムがいつもいっしょに遊ぶのをたのしみにしていた少女だとわかったからである。」(「作者のことば」P302)

 ファンタジーという言葉は、「目に見えるようにすること」というギリシャ語からきたと言われていますが、ピアスは、幼いころの夢をみているおばあさんの夢に入り込むという不思議な物語を、緻密な構成とリアルな描写で描ききり、一人の人間の中に確かに積み重なっていく目にみえない「時間」を見事に見せてくれます。一人で退屈していたトムが、おばあさんの大時計の音に魅かれて、不思議な庭にひきこまれ、一人遊びをしていたハティと出会うというストーリーは自然で、不思議な庭に無理なく入れます。そしてハティが大人になり、トムはハティの夢に入れなくなりますが、現実でおばあさんとなったハティに再会したとき、確かにハティと認めることができるのです。過去と現在が交錯する中での、二人の神秘的ともいえる出会いが描かれています。

 「ハティは、おばあさんになって、思い出のなかにふたたびじぶんの過去を生きはじめたときに、トムをもう一度ちゃんと見ることができた。完全にみとめあったその瞬間に、ハティはむかしのままの少女として、トムの抱擁をうけるのである。おばあさんは、じぶんのなかに子どもをもっていた。私たちはみんな、じぶんのなかに子どもをもっているのだ」(「作者のことば」P303)

 フィリッパ・ピアスは、1955年に第1作目『ハヤ号セイ川をいく』で好評価を得て、1958年に『トムは真夜中の庭で』でカーネギー賞を受賞しました。J.R.タウンゼントが『子どもの本の歴史』で「物語作家としての才能にすぐれ、いつまでも記憶に残る人物を創造する小説家としての力と、バランスのよくとれた作品を完成する建築家的なとでも言うべき才能においてまさっている。」と述べているように、イギリス児童文学作家の中でも名声を博し、子どもたちの心の深いところに響く上質な作品を書いています。

 <その他の作品>
 
ミノー号の冒険』 前田美恵子訳 文研出版 1970(文研児童読書館)
おばあさん空をとぶ』 前田美恵子訳 文研出版 1972(文研児童読書館)
りす女房』 いのくまようこ訳 冨山房 1982
それいけちびっこ作戦』 百々佑利子訳 ポプラ社 1983
ハヤ号セイ川をいく』 足沢良子訳 講談社 1984
ペットねずみ大さわぎ』 高杉一郎訳 岩波書店 1984
幽霊を見た10の話』 高杉一郎訳 岩波書店 1984
サティン入江のなぞ』 高杉一郎訳 岩波書店 1986
エミリーのぞう』 猪熊葉子訳 岩波書店 1989
ふしぎなボール』 猪熊葉子訳 岩波書店 1989
まぼろしの小さい犬』 猪熊葉子訳 岩波書店 1989
ライオンが学校へやってきた』 高杉一郎訳 岩波書店 1989
こわがっているのはだれ』 高杉一郎訳 岩波書店 1992
真夜中のパーティー』 猪熊葉子訳 岩波書店 2000(岩波少年文庫)
8つの物語-思い出の子どもたち』 片岡しのぶ訳 あすなろ書房 2002
川べのちいさなモグラ紳士』 猪熊葉子訳 岩波書店 2005
消えた犬と野原の魔法』 さくまゆみこ訳 徳間書店 2014
 
  <参考文献>

英米児童文学史』 瀬田貞二 猪熊葉子 神宮輝夫著 研究社 1971

子どもの本の歴史 英語圏の児童文学 上・下』 J.R,タウンゼンド著 高杉一郎訳 岩波書店 1982

世界児童・青少年文学情報大事典(第1~16巻)』 藤野幸雄編 勉誠出版 2000-2004

(作成T.S)

基本図書を読む21『たのしいムーミン一家』トーベ・ヤンソン(再掲載)


この記事は2015年12月28日に公開したものを再掲載しています。

2015年時点では、まだオープンしていなかった飯能市のムーミンのテーマパーク「ムーミンバレーパーク」がmetsa villageの中に2019年3月にオープンしました。(詳しい情報は⇒こちらたびこふれ)ムーミン好きな人にはたまらないようです。

 

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テレビのアニメ番組も放映され多くの人に親しみを持たれているフィンランドの作家、トーベ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズ。(日本では講談社より出版)2014年はトーベ・ヤンソン生誕100周年にあたり、今年は「ムーミン」シリーズの第1作『小さなトロールと大きな洪水』(冨原眞弓/訳 講談社 1992年)が1945年に書かれて70周年ということで、2014年~2015年にかけて全国各地で「ムーミン展」が行われました。

今回は、一連の作品の中で初めて英訳され、フィンランド以外の国で人気を博した作品、『たのしいムーミン一家』(原作1948年/ 日本版 山室静/訳 講談社 1968年)を紹介します。

新装版 たのしいムーミン一家 (講談社文庫)
トーベ・ヤンソン
講談社
2011-04-15
 
 
 
 
たのしいムーミン一家 (1978年) (講談社文庫)
トーベ ヤンソン
講談社
1978-04
 
 
 
 
たのしいムーミン一家 復刻版
トーベ・ヤンソン
講談社
2015-07-30

 

プロローグはムーミン谷に初雪が降ってくるところ。寒い北国にあるムーミン谷では11月にはみんな冬眠に入ってしまうのです。そしてある春の朝、早くにムーミントロールは長い眠りから目を覚まします。そして、隣に寝ていたはずのスナフキンが居ないことに気がついて、飛び起きるのでした。

冬眠から目覚めたムーミントロールとスナフキンは、友達のスニフを誘って山の方へ散歩に出かけます。そこで見つけたのは真っ黒なシルクハット。3人はこの帽子がどんな騒動を起こすかも知らずに家に持ち帰りました。それは、飛行おに(世界のはての高い山に住む魔物、第5章でスナフキンが語っている)が落とした不思議な力を持った帽子で、帽子の中に何かが入るとたちまち別のものに変身させてしまうのです。その帽子をめぐって、ムーミン谷では夏の間中、不思議なことが次々起こっていきます。個性豊かな登場人物たちが繰り広げるエピソードは、ユーモアがあって、ドキドキすることがあって、ぐいぐいと引き込まれてあっという間に読んでしまうことでしょう。

トーベ・ヤンソンは、この作品の前2作、『小さなトロールと大きな洪水』(原作1945年/  冨原眞弓/訳 1992年)、『ムーミン谷の彗星』(原作1946年/ 下村隆一/訳 1969年)では、戦争の暗い体験をベースに襲い来る自然の恐怖を描き、その中で家族の結びつきの大切さをテーマに書いていました。第3作めにあたる『たのしいムーミン一家』では、ムーミン谷の美しい自然の中で仲間たちがお互いを許容しあい、助け合う姿を描き、子どもたちにとって身近に感じられる作品として仕上げました。

この作品は英訳されイギリスを始め、多くの国で人気を博します。その後、「ムーミン」シリーズは、『ムーミンパパの思い出』(原作1950年/  小野寺百合子/訳 1969年)、『ムーミン谷の夏まつり』(原作1954年/ 下村隆一/訳 1968年)、『ムーミン谷の冬』(原作1957年/  山室静/訳 1969年)、『ムーミン谷の仲間たち』(原作1962年/ 山室静/訳 1969年)、『ムーミンパパ海へいく』(原作1965年/ 小野寺百合子/訳 1968年)、『ムーミン谷の十一月』(原作1970年/ 鈴木徹郎/訳 1977年)(注・日本での出版年は講談社トーベ・ヤンソン全集の初出版年にしています)と続きます。フィンランドの豊かな自然を背景に、ムーミン谷に生きる仲間たちを愛情たっぷりに描いたシリーズは全世界で愛され、1966年には児童文学界のノーベル賞といわれる国際アンデルセン賞作家賞をIBBY(国際児童図書評議会)より授与されています。また人生哲学のようなことばが作品の中に散りばめられており、大人たちの間にも根強いファンが多いのも特徴です。

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン
トゥーラ カルヤライネン
河出書房新社
2014-09-25

 

昨年、出版されたトーベ・ヤンソンの評伝『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』(トゥーラ・カルヤライネン/著 セルボ貴子・五十嵐淳/訳 河出書房新社)には、トーベ・ヤンソンの両親の出会いから始まり、幼少期から彼女の創作に影響を与えたさまざまな出会いや別れ、出来事などが整理しつつ詳述されており、トーベ・ヤンソンその人の残した作品について深く知ることができます。

もう1冊、『小さいトロールと大きな洪水』を翻訳した冨原眞弓氏が実際に交流のあったトーベ・ヤンソンの実像に迫った『ムーミンを生んだ芸術家トーヴェ・ヤンソン』(芸術新潮編集部 新潮社)も昨年出版されました。こちらも合わせてぜひ読んでみてください。

ムーミンを生んだ芸術家 トーヴェ・ヤンソン
冨原 眞弓
新潮社
2014-04-16
 
 
 

ところで今年6月に飯能市にムーミンのテーマパークが2017年に出来るというニュースが流れたことを記憶されている方もいるでしょう。飯能市にある宮沢湖畔に民間会社がオープンさせる「Metsa」(メッツァ フィンランド語で森を意味する)というテーマパークです。

あけぼの子どもの森公園実は、飯能市にはもうひとつ市が運営する「ムーミン公園」として親しまれている「トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園」があります。こちらは横浜市にある村山建築設計事務所が園内のムーミン屋敷や森の家などを設計しました。1997年のオープン当時、この事務所に勤めていた大学の先輩に、フィンランドのトーベ・ヤンソンさんと公園や建物のコンセプトについてやり取りをしていたことを聞かされていました。訪れる人の想像力をかきたててくれる公園です。また園内の森あけぼの子どもの森公園2の家の2階は小さな図書室になっています。機会があればぜひ訪れてみてほしい場所です。(画像は2011年秋にあけぼの子どもの森公園に訪れた時に撮影したものです。)
(作成K・J)

基本図書を読む20『がんばれヘンリーくん』ベバリイ・クリアリー(再掲載)


 
2015年11月30日に公開された記事の再掲載です。
 
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 「ゆかいなヘンリーくん」シリーズは、1950年に第1作『がんばれヘンリーくん』が出版されて以来、60年以上子どもたちが親しんでいる全14巻のシリーズです。作者ベバリイ・クリアリーは、アメリカのオレゴン州で生まれ、大学で図書館学を勉強したあと、児童図書館員として働きました。そして長年子どもたちに本を手渡すなかで、ふつうの子どもたちの生活をえがいたゆかいな物語が少ないと感じていたクリアリーは、普段子どもたちに接してきた豊富な経験を生かして、『がんばれヘンリーくん』を書きあげます。この作品はたちまち子どもたちの人気を集め、主人公はヘンリーくんの友達ビーザスの妹ラモーナへとバトンタッチしていきますが、約半世紀にわたってこの一連のシリーズは書き続けられることになります。
 
 第1作目『がんばれヘンリーくん』は、オレゴン州クリッキタット通りに住む小学校3年生のヘンリー・ハギンズの毎日が書かれています。街角でやせこけた犬を見つけたので、バスに乗せて家まで連れて帰ろうとしたら大騒ぎになったこと、ペットショップでグッピーをひとつがい買ったら、何百匹にも増えてしまい世話が大変になったこと、友達の大切なボールを失くしてしまい弁償するために、釣りの餌に使うミミズを1319匹つかまえたことなど、ヘンリーくんの周りでおこるちょっとした事件をユーモラスに描いています。この本を手にとる子どもたちも、自分と同じ年ごろのヘンリーくんのゆかいな事件を読んでいくうちに、クリキタット通りで起こることが身近に感じるようで、笑いながら読んでいました。
 
がんばれヘンリーくん (ゆかいなヘンリーくん 1)
ベバリイ クリアリー
学習研究社
2007-06-15

 

 

 シリーズ後半の主人公ラモーナは、初登場は3歳くらいで、好奇心いっぱいのやんちゃな女の子でしたが、最後の巻では親友に出会ったり気になる男の子ができたりと、思春期の入り口にさしかかります。何をするかわからないラモーナが起こす事件もおもしろく愉快ですが、シリーズを通して成長していく様子がみられるのも魅力的です。10歳の誕生日を迎えたラモーナは、こう叫びます。

「あたし、おとなになる可能性をもってるんだからねーっ!」 (『ラモーナ、明日へ』P284)

 泣いたり笑ったり、存分に子ども時代を生きて、明日へ向かっていく姿は力強く、読んでいるこちらも励まされます。

ラモーナ、明日へ
ベバリイ クリアリー
学習研究社
2006-01

 

 

 訳者である松岡享子氏は、アメリカで児童図書館員として働きはじめたときにヘンリーくんに出会ったそうですが、『がんばれヘンリーくん』のあとがきで次のように書いています。

「図書館では、よく読まれる本は、複本といって、同じ本を何冊もそろえるのですが、ヘンリーくんのシリーズの本は、複本がたくさん用意されていました。のちにわたしが配属された小さな街中の分館にも、ヘンリーくんの本は複本でそろえてありました。そして、それらの本は、棚の上でゆっくり休んでいる暇はありませんでした。つぎからつぎへと借り出されていったからです。子どもたちに負けずに、私もつぎつぎにこのシリーズを読みました。夜、アパートの古い安楽いすにからだを沈めてページをくりながら、何度声をたてて笑ったことでしょう!  図書館へやってくる子どもたちと少しも違わない、元気で、くったくのない子どもたちが、本のなかからもわたしに話かけ、わたしをクリッキタット通りの住民にしてくれました。」(『がんばれヘンリーくん』 P226 )

 劇で変な役をしたくなかったり、お姉さんと比べられて嫌だったり、誕生日が楽しみだったり、ごく当たり前の生活の中で、ヘンリーくん、ビーザス、ラモーナがしていることは、今の子どもたちも同じように嬉しかったり悩んだりしていることでしょう。そんな自分と同じような気持ちになる物語を読んで大笑いすることは、スカッとしますし元気になれると思います。読んで愉快、親しみがわいてあたたかい、めいっぱい味わってほしいシリーズです。改訂新版は、版型は小さくなっていますが活字は大きく読みやすくなっています。ぜひ、シリーズの中に出てくるおもしろい事件を紹介して、ヘンリーくんたちに出会うきっかけを作ってあげてください。

≪ゆかいなヘンリーくんシリーズ≫ ベバリィー・クリアリー作 松岡享子訳

第1巻『がんばれヘンリーくん』 改訂新版 2007, 第2巻『ヘンリーくんとアバラー』 改訂新版 2007, 第3巻『ヘンリーくんとビーザス』 改訂新版 2009, 第4巻『ビーザスといたずらラモーナ』 改訂新版 2009, 第5巻『ヘンリーくんと新聞配達』 改訂新版 2013, 第6巻『ヘンリーくんと秘密クラブ』 改訂新版 2013, 第7巻『アバラーのぼうけん』 改訂新版 改訂新版 2008, 第8巻『ラモーナは豆台風』 改訂新版 2012, 第9巻『ゆうかんな女の子ラモーナ』 改訂新版 2013, 第10巻『ラモーナとおとうさん』 改訂新版 2001, 第11巻『ラモーナとおかあさん』 改訂新版 2001, 第12巻『ラモーナ、八歳になる』 2001, 第13巻『ラモーナとあたらしい家族』 2002, 第14巻『ラモーナ、明日へ』 2006

(作成 T.S)

 

基本図書を読む19『若草物語』ルイザ・メイ・オールコット(再掲載)


これは2015年10月29日に公開した記事の再掲載です。

4年前のNHKのドラマのことは、記憶の片隅に追いやられていますが、小3で読んだ「若草物語」は鮮明に覚えている、この差は読書が内省を伴った知的作業だからでしょうか。

今、福音館書店や岩波少年文庫のものは、小学生が手に取らなくなっていると聞きます。講談社青い鳥文庫は抄訳(→こちら)ですが、先月紹介したローラ・インガルス・ワイルダーの『長い冬』(岩波少年文庫 2000→こちら)の翻訳者・谷口由美子さんが訳しています。

まずは抄訳で『若草物語』の世界を知ってもらって、読了後、小学校高学年向けに完訳の作品を手渡していくのもよいでしょう。どのようにしてロングセラーの本を手渡し続けるのか、「基本図書」の意味と共に一緒に考えていきたいと思います。

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今回取り上げる『若草物語』は、1868年に発表された作品です。1868年という年号を聞いて、その時代背景を即座に思い浮かべることができる人はどれくらいいるでしょうか。もしかすると歴史小説や大河ドラマなどが大好きな人は、ああ、あの時代だと思い浮かべることができるでしょう。日本では1868年というと元号が慶応から明治と改められた年にあたります。

『若草物語』は、私K・Jが小3の時に初めて読んだ長編であり、その時の感動が本好きになる契機となった作品なのですが、今まさにNHKで放映中の大河ドラマ「花燃ゆ」や、朝の連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン達と同じ時代に生きたアメリカの少女たちの姿だと思うと、子ども時代にこの作品を読んだ時に感じた印象とは違ってみえました。

『若草物語』(上・下) ルイザ・メイ・オルコット/作 海都洋子/訳 岩波少年文庫 岩波書店 2013

若草物語(上) (岩波少年文庫)
ルイザ・メイ・オルコット
岩波書店
2013-08-30

 

 

若草物語(下) (岩波少年文庫)
ルイザ・メイ・オルコット
岩波書店
2013-08-30

 

 

この物語は父親が南北戦争に従軍している留守家庭の、マーチ家の聡明で優しい母親と四人の姉妹のある年のクリスマスから、次の年のクリスマスまでの一年間を描いています。長女メグは16歳。優しく美しい女の子ですが、虚栄心の強い部分もあります。物語の後半では初めての恋に心をときめかす姿を見せます。背の高い次女ジョーはさっぱりとした性格の活発な15歳。想像力もたくましく文章力にも長けています。13歳の三女のベスは内気で臆病な性格ですが、とても繊細でピアノを弾くのが上手な女の子です。そして末っ子のエイミーはお茶目で甘えん坊の12歳。絵を描いたり、物を作るのが得意な芸術的センスの持ち主です。

父親が従軍牧師として赴任し、清貧を旨とする両親の考えで家族は慎ましい生活を送っています。お手伝いのハンナが母娘を助けていますが、母親もそして上の二人の娘も家庭教師などをして家計を助けています。贅沢をせず、自分たちよりも貧しい人々へ援助の手を差し伸べる母親のマーチ夫人の姿には、当時の清教徒らしい良識を感じます。アメリカを建国した清教徒たちの流れは建国から100年経ったこの時代にも、古き良き伝統として受け継がれ、家父長制のもと、女性には慎み深さや謙虚な姿勢、従順であることがよしとされていた時代です。マーチ夫人の娘たちへの言葉や、気難しい大叔母の言動にもそのような時代の空気を感じさせます。

そのような古き時代を背景にした物語だとしても、四人の姉妹が互いを思い合い、時にはぶつかり合いながらも、大人の女性として成長していく手前の少女時代を懸命に生きている姿は、今の子どもたちにもいろいろなことを示唆してくれることでしょう。

そのことについて、2013年に岩波少年文庫版『若草物語』を訳出した海都洋子氏は、「あとがき」にこのように記しています。

「『普遍的』という言葉があります。いつの時代にも変わらず、すべてのこと、すべての人にあてはまる・・・・というような意味です。人間が(この物語では少女たちが)それぞれ成長していく過程で、悩んだり、喜んだり、考え込んだりすることは、時代が古くても新しくても同じ、つまり普遍的なことなのです。この物語が世界各国の言葉に翻訳され、永く読み継がれてきたのは、まさに、その内容が普遍的で、書かれていることが、読者にとっては、まるで自分のことのように、あるいは、きょうだいや近しい人のことのように読めるからです。」(下巻p292)

多感な時期に他人と比較して落ち込んでみたり、見栄を張って失敗してみたり、ちょっとしたことで自信を取り戻したりする10代の子どもたちにとって、150年前の四姉妹も同じように感じながら、それを懸命に乗り越えていった姿に共感を覚えるのだと思います。

作者自身が『若草物語』の校正ゲラが届いた日の日記に、「(1868年)八月二十六日―全ページの校正ゲラが届いた。案外いい作品だと思う。ぜんぜんセンセイショナルではなくて、素朴で真実味がある。それもそのはず、わたしたちはほとんどこのとおりの人生を送ってきたのだから。この作品が成功するとしたら、それは実際にあった話だからだろう。(中略)すでに原稿を読んだお嬢さんたちが「素晴らしい!」といってくれたそうだ。少女向けに書いた作品なので、少女が最高の批評家。だからわたしは満足。」(『ルイーザ・メイ・オールコットの日記-もうひとつの若草物語-』ジョーエル・マイヤースン、ダニエル・シーリー/編 宮木陽子/訳 西村書店 2008 ,p224)と記しているとおり、描かれているのは等身大の10代の姿であり、その年代の少女たちがぶつかる課題も普遍的であるということでしょう。

ルイーザ・メイ・オールコットの日記―もうひとつの若草物語
西村書店
2008-07
 
 
 
 

この作品の原題は『Little Women』です。日本では1906年に『小婦人』(北田秋圃/抄訳・画 彩雲閣)という書名で、初めて紹介され、その後も多くの人の訳で出版されてきました。なぜ邦訳で『若草物語』という題名になったのかについても、海都洋子氏はあとがきに書いています。

「それから100年以上、日本だけでも、この物語は何十回も訳し直され読みつづけられてきました。書名も『四少女』『四人の姉妹』など、いくつかあります。いちばん有名な『若草物語』になったのは、1933年にアメリカで映画化されて翌年日本で公開される際につけられたタイトルが、あまりにぴったりだったので、以後、この『若草物語』が多く使われるようになったのだと言われています。」(下巻p291)

四姉妹と隣に住むローレンス家の孫ローリーが親しくなる場面で、「そして、たのしいことが次から次に起こり、まるで春の若草が萌え出すように新しい友情が芽生え、ぐんぐん育っていった。」(上巻p146)と、たったそこだけに「若草」という表現が出てくるのですが、『若草物語』というタイトルは10代の活力や、未来に向って伸びていこうとする前向きな気持ちを的確に表していると感じます。

 
岩波少年文庫版は、新しく訳されたこともあり、長く読み継がれてきた福音館書店の古典童話シリーズ(矢川澄子訳 1985)と比べて読むと、会話文なども今の子どもたちにスっと入り込みやすくなっています。
若草物語 (福音館古典童話シリーズ (25))
ルイザ・メイ・オルコット
福音館書店
1985-02-20

 また、福音館書店版の絵はターシャ・テューダーで、岩波書店文庫はバーバラ・クーニーです。それぞれの絵に味わいがあります。どちらを読むかはお好み次第ですが、今の子どもたちには岩波少年文庫版が手渡しやすいでしょう。「あさ」と同じ時代を生きたアメリカの少女たちにも出会ってほしいと思います。

(作成 K・J)

基本図書を読む18『大きな森の小さな家』ローラ・インガルス・ワイルダー(再掲載)


2015年9月28日に公開した記事の再掲載です。2019年度前期放送のNHK連続テレビ小説「なつぞら」でヒロインが取り組んだTVアニメの題材が、このシリーズのうちの『大草原の小さな家』でしたね。

ぜひ全シリーズを再読してみてください。

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 「小さな家シリーズ」は、今から100年以上前のアメリカで、開拓農民として生活を送ったインガルス一家の物語で、世界中で読み継がれ愛されてきました。インガルス一家は、とうさん、かあさん、メアリ、ローラ、グレイス、キャリーの6人家族で、次女のローラが家族の物語を残しておきたいと60歳過ぎてから書き上げたシリーズです。ローラが5歳のときから、結婚し、22歳になるまでが書かれています。

はじめの4冊『大きな森の小さな家』(恩地三保子訳 ガース・ウィリアムズ画 福音館書店 1972)『大草原の小さな家』(1972)『プラムクリークの土手で』(1973)『シルバー・レイクの岸辺で』(1973)は、ローラが5歳から13歳になるまでの物語で、テレビドラマになり日本でも放送されました。『農場の少年』(恩地三保子訳 ガースウィリアムズ画 福音館書店 1973)は、後にローラの夫となるアルマンゾの少年時代の物語です。『長い冬』(谷口由美子訳 ガース・ウィリアムズ画 岩波書店 2000)、『大草原の小さな町』(2000)、『この楽しき日々』(2000)、『はじめの四年間』(2000)、『わが家への道―ローラの旅日記』(2000)では、ローラが少女から大人へなっていく青春時代が書かれています。1冊1冊の魅力はもちろんのこと、シリーズとして読むことでローラが成長していく様子、時代が変わっていく様子を味わうことができる大河小説とも言えます。

 シリーズ1冊目の『大きな森の小さな家』は1932年に出版されました。

大きな森の小さな家―インガルス一家の物語〈1〉 (世界傑作童話シリーズ)
ローラ・インガルス・ワイルダー
福音館書店
1972-07-15

 

 

大きな森の小さな家 ―インガルス一家の物語〈1〉 (福音館文庫 物語)
ローラ インガルス ワイルダー
福音館書店
2002-06-20

 

 

舞台は北アメリカのウィスコンシン州の大きな森で、ローラが5歳から6歳までの1年間の出来事が描かれています。おおかみや熊が姿を現し、冬には雪に閉ざされる厳しい場所での生活ですが、頼もしくひょうきんな父さん、賢く優しい母さんが希望をもって生活している様子が描かれています。食べ物はは手作りで、豚は木のうろでいぶして保存できるようにし、バターは牛乳をしぼってクリームをすくい棒でついて作り、メイプルシュガーもかえでの樹液を煮詰めて作ります。その描写は読むだけで美味しそうで、物語の魅力の一つです。食べ物だけでなく、家具や狩りに使う道具なども自分たちの手で作っていて、父さんは鉄砲の手入れている様子などが細かく丁寧に描かれています。いろいろな物が出来上がっていくときの色やにおい、さわり心地まで感じられ、自分がローラになってその場面を見ている気持ちになります。またクリスマスできれいな人形をプレゼントにもらって嬉しかったこと、初めて町へ行ったときのことなど、特別な日のことも描かれていて、ローラが嬉しくてしかたなかったことが伝わってきます。

ローラは、父さんと母さんのそばで暖かい空気に包まれながら、暮らしを愛すること、自然に敬意をしめすことなど、生きていく上で大切なことを学んでいきます。そうした日々は、ローラの中に生き生きと残り、開拓農民としての厳しくも豊かな人生を支え、年老いてからいつまでも読み継がれる物語としてたちあがってきたのでしょう。幸せな子ども時代の記憶は、人を優しくあたたかな気持ちにしてくれ、多くの人に愛されることをあらわしてくれている作品です。

 ヴァイオリンが歌いおえると、ローラは、小声でききました。「はるけきむかしってなに、とうさん?」

「ずっとずっとむかしのころっていうことさ、ローラ」というさんはいいました。「さ、もうおやすみ」

けれど、ローラは、しばらく目をさましていました。ひくく歌っているそうさんのヴァイオリンと、「大きな森」でものさびしく鳴る風の音をじっとききながら。そして、炉ばたのベンチにすわっているとうさんのほうを見ます―暖炉のあかりで、茶色の髪の毛もひげもキラッキラッと光り、はちみつの色ににた茶のヴァイオリンはピカピカかがやいています。

かあさんのほうを見ると、ゆっくりゆり椅子をゆらしながら、編みものをしています。

 ローラは思うのでした。「これが『いま』なのね」

 

 ローラは、この住みごこちのいい家も、とうさんも、かあさんも、暖炉のあかりも、音楽も、みんな「いま」でよかったな、と思うのでした。何もかもわすれっこない、だって、「いま」は「いま」なんだもの―ローラは思います。それは、「ずっとむかし」になんか、なりはしないのだから。

(『大きな森の小さな家』 ローラ・インガルス・ワイルダー著 恩地美保子訳 福音館書店 P249)

<参考文献>

『新装版 大草原の小さな家・・・ローラのふるさとを訪ねて・・・』 ウィリアム・T・アンダーソン文 谷口由美子構成・訳・文 レスリー・A・ケリー写真

「小さな家シリーズ」の背景が、舞台となった土地の写真やローラたちが実際に使ったものや手紙や日記などたくさんの資料とともに紹介されています。

 

 (作成 T.S)

基本図書を読む17『長くつ下のピッピ』アストリッド・リンドグレーン(再掲載)


2015年8月24日に公開した記事の再掲載です。

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 今年はスウェーデンでアストリッド・リンドグレーンの書いた『長くつ下のピッピ』が出版されてから、ちょうど70年の記念の年です。日本では大塚勇三の翻訳で1964年に岩波書店から出版され、こちらは51年になりました。この間、世界中の子どもたちがピッピに魅せられ、その作品世界を味わってきました。

物語は、スウェーデンの小さな町の町はずれにある草ぼうぼうの古い一軒家“ごたごた荘”に9歳の女の子が引っ越してくるところから始まります。この女の子の名前はピッピ・ナガクツシタ。お母さんは赤ちゃんの時に亡くなり、外国航路船長のお父さんは海で行方不明になっており、ピッピはひとりでこの家に引っ越してきたのです。

「わたしのこと、しんぱいしないで!わたしは、ちゃんとやっていけるから!」というピッピは、ニルソン氏と名付けたサルと、馬と一緒に、誰からも世話を受けずに生活をしています。生活に必要なものは父親が残してくれた金貨で手に入れて、掃除も料理もなんでも自分でこなすピッピは、同年代の子どもたちから見ると、なんとも眩しい存在です。というのも、9歳という年齢は大人の庇護のもとに、自分の意思というよりは親たちの意向に沿って生活するというのが、いわば常識的だからです。

しかしピッピは、大人が考える常識という常識はことごとく覆していきます。“ごたごた荘”の隣の家にすむトミーとアンニカは、常識的で退屈な生活の中でピッピと出会い、ピッピに魅せられて、一緒にそれはそれは楽しい経験をたくさん積みます。それはまさに「天衣無縫」。大人の常識をことごとく打ち破り、大人を言い負かし、子どもだと思ってなめている大人をギャフンと言わせる世界一力持ちの女の子のピッピは、まさに子どもらしい子どもだと言えるでしょう。

長くつ下のピッピ (岩波少年文庫 (014))
アストリッド・リンドグレーン
岩波書店
2000-06-16

 

20世紀を迎える前は、子どもが子どもらしくということは認められていませんでした。子どもは「小さな大人」とされていましたし、労働力として搾取される存在でもありました。アストリッド・リンドグレーンと同じスウェーデンの教育学者、エレン・ケイが1900年に『児童の世紀』(小野寺信・百合子/訳 冨山房 1979年)を著し、その中で子どもは決して大人の未完成のものではなく、独自の存在であること、大人によって型にはめたり、抑圧すべきではないということ、子どもにも子どもらしく生活をする権利があるのだということを訴えたのでした。『児童の世紀』は、教育学を専攻する人は必ず一度は読んでいるいる本で、エレン・ケイの子どもを捉える考え方はその後の「児童の権利宣言」につながっていくのですが、こうした思想背景はリンドグレーンの育ちと、創作とに影響を与えているといえるでしょう。

  アストリッド・リンドグレーンの子ども時代を描く『遊んで 遊んで リンドグレーンの子ども時代』(クリスティーナ・ビヨルグ/文 エヴァ・エリクソン/絵 石井登志子/訳 岩波書店 2007年)には、彼女自身がエレン・ケイの新しい子ども観によって両親の温かい愛情に見守られて育っていったことが書かれています。大自然の中で自由に駆け巡り、大人からみたら危険に思えることにも果敢に挑戦する、一見遊び道具になりそうもないものも遊びに変えてしまう、そんな中で兄弟姉妹や友達と助け合い、知恵をしぼって困難を克服していく、そのような子ども時代のアストリッドの姿が描かれており、そこにはピッピや、やかまし村の子どもたち(大塚勇三/訳 岩波書店 2005)、『ちいさいロッタちゃん(山室静/訳 偕成社1985)など、彼女が描く子どもたちがそのまま居るかのようです。

児童の世紀 (冨山房百科文庫 24)
エレン・ケイ
冨山房
1979-02-09

 

 

遊んで遊ん でリンドグレーンの子ども時代
クリスティーナ ビヨルク
岩波書店
2007-07-27

 

 

 この物語は、アストリッドの娘のカーリンが7歳の時に風邪をこじらせていた冬に生まれました。母親にベッドサイドでお話を聞かせてもらうのを楽しみにしていたカーリンですが、闘病が長くなり、読んで聞かせる物語が無くなった時に、「長くつ下のピッピが活躍するお話を聞かせて」とねだったのが、『長くつ下のピッピ』誕生となったのです。娘に語り聞かせたこの物語は、その3年後にアストリッド自身が怪我で安静を強いられた時に清書され、出版社に持ち込まれました。この本が出版されると、大人からは「こんなにお行儀の悪い子どもが主人公だなんて」という批判もたくさん受けたというのですが、子どもたちには歓迎され、お話の続きを読みたいという要望がたくさん寄せられ、『ピッピ船にのる』、『ピッピ南の島へ』と続編が出版されました。 

ピッピ船にのる (岩波少年文庫 (015))
アストリッド・リンドグレーン
岩波書店
2000-06-16

 

 

ピッピ南の島へ (岩波少年文庫(016))
アストリッド リンドグレーン
岩波書店
2000-08-18

 『ピッピ南の島へ』のあとがきに、落合恵子(クレヨンハウス主宰 絵本作家 エッセイスト)が、「ピッピのアナーキズム、大人が作りあげた社会秩序からの、すてきに、ワクワクする逸脱こそ、ピッピがわたしたちの永遠のヒーローたり得る理由だと思う。」(あとがき p214)に記しています。ピッピの自由で何ものにも因われない考え方や行動、大人をも負かすほどの怪力、大ボラに見えるほどの豊かな想像力、そして何よりの思いやり深かさは、いつまでもピッピのそばに居たいと願っていた隣の家のトミーとアンニカや、クレクレドット島の子ども達と同じように、読者にもピッピをかけがえのない友達と思わせ、いくつになっても離れがたく感じさせることでしょう。 

リンドグレーンと少女サラ――秘密の往復書簡
アストリッド・リンドグレーン
岩波書店
2015-03-19

そんな子どもたちの心に寄り添う物語を生み出してきたアストリッドの、子どもに向ける温かい眼差しが読み取れる書簡集が、今年の春に出版されました。アストリッド・リンドグレーンの物語に魅せられた少女サラが最初にアストリッドに手紙を書いたのは今から43年前のこと。当時、サラは12歳でした。アストリッドはそのサラに返事をきちんと返します。サラはまた手紙を出します。こうして一ファンだったサラとの間で実に30年間、アストリッドが94歳で亡くなるまで文通が続いていきます。

サラは12歳の思春期の入口にいた多感な思いを、アストリッドにぶつけるのですが、アストリッドはサラの揺れる気持ちに寄り添い、温かく見守り、決して突き放したりはしませんでした。この書簡を読みながら、このように人の心に寄り添えるアストリッド・リンドグレーンの懐の深さ、優しさを改めて感じることが出来ました。ちなみに、このサラは1958年生まれで、私と同年代です。子ども時代にアストリッド・リンドグレーンの描く世界に魅了されてきた読者として、この書簡集は羨ましくもあり、またこういう人だったからこそ、私たちは彼女の作品に夢中になったのだと確信することができました。

銀座にある子どもの本の専門店、教文館こどもの本のみせナルニア国では『長くつ下のピッピ』誕生70年を記念して、9月4日(金)から10月25日(日)まで「アストリッド・リンドグレーン展」を開催します。また、関連の講演会も開かれます。(10月5日(月)「三瓶恵子氏講演会 今でもスウェーデン人の心に生き続けるリンドグレーン10月17日(土)石井登志子氏講演会 作品にこめられたリンドグレーンの願い」)ぜひ、『長くつ下のピッピ』の魅力に触れるために訪れてみてください。

(K・J)  

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